ペギー葉山さんが肺炎のため83歳で
亡くなったという報道がありました。


ファンの方やポンキッキー世代の人は
ショックだと思います。


3月30日にペギー葉山さんのブログは
更新されていただけにお元気だった
はずですが、急に体調を崩された
ようですね。


ペギー葉山さんといえば、
ドレミの歌で知られる歌手です。


そのイメージが強いですが今回、
ペギー葉山の資産や遺産は?
家族や経歴も気になる


という内容でまとめてみました。

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◆ペギー葉山のプロフィール経歴

ペギー葉山

出典元:http://okmusic.jp/



——————————————————
名 前:ペギー葉山
本 名:森繁子
   (旧姓:小鷹狩 繁子)
   (こたかり しげこ)
生年月日:1933年12月9日
年 齢:83歳
出 身:東京
職 業:歌手・タレント
学 歴:青山学院女子高等部
   (現・青山学院高等部)
—————————————————– 
幼少期から歌が大好きだった、
ぺギー葉山さん。


青山学院中学部(現青山学院中等部)
在学中に声楽を習っていたそうです。


アメリカのポピュラー音楽に関心が
あり、学生の時に友人の紹介で
進駐軍のキャンプで歌い始めたことが
きっかけで、


当時の一流バンドである
渡辺弘とスター・ダスターズの三代目
専属歌手として活躍しました。


その後、1952年
学校を卒業し「ドミノ 火の接吻」で
レコードデビュー。


1954にNHKの紅白歌合戦に初出場。
(その後の出場も含めて計14回出場)


1955年に渡米し各地で歌ったそうです。


その後、
たくさんの歌を歌い、
数々の歌をヒットさせ、歌手として
不動の地位をものにしました。
受賞歴もすごいです。


1958年
芸術祭個人奨励賞(ミュージカル
『あなたの為に歌うジョニー』)


1980年
第22回日本レコード大賞・企画賞
 (アルバム『万葉の心を求めて』)


1991年
第33回日本レコード大賞・功労賞
(外国の歌を日本に紹介し広めた功績)


1992年
日本ジャズヴォーカル賞 大賞
(ジャズワールド紙主催)


1993年
芸術選奨文部大臣賞
 (歌手生活40周年リサイタル)


1995年
紫綬褒章


2004年
旭日小綬章


2012年
第54回日本レコード大賞・特別賞
(『南国土佐を後にして』)


2014年
第35回松尾芸能賞・特別賞


2015年
第66回NHK放送文化賞

◆ペギー葉山の有名なドレミの歌

ペギー葉山さんといえば
「ドレミの歌」。


実は、
ミュージカル劇中歌「ドレミの歌」は
ペギー葉山さん自身が訳詞で紹介した
ものだったのです!


これには驚きましたね~
音楽の教科書にも掲載されていたので
この歌は皆さんもご存知だと思います。


—————————-
ドは ドーナツの ど
レは レモンの れ
ミは ・・・・
—————————-
と、
このドレミの歌をペギー葉山さんが
日本語版に作詞された方でした。


当初は、すべて食べ物にしたかった
そうですね。


ドレミのミ  →ミカン
ドレミのファ →ファンタ(飲み物)


「ファ」は、
ファンタしか思い浮かばなかった
そうですw


しかし、
商品名になるのであきらめたとか。


確かに、
「ファ」の食べ物・・・
今考えても、思いつきませんw


もしかしたら、面白い歌ができていた
かもしれなかったのですね!


この歌は、
誰もが知っている音楽なので
ペギー葉山さんは音楽の母ですね!

◆ペギー葉山のタレント活動

ペギー葉山さんは、
歌手だけでなく、タレントしても
活躍しています。


歌手とタレントの毎日なので
忙しい日々を送っていたこと
でしょう。


子供から大人まで愛されていた
大人気のペギー葉山さんです。


●NHK紅白歌合戦の紅組司会

●「歌はともだち」(NHK)の司会

●「ひらけ!ポンキッキ」しつけコーナー

●「ウルトラマンタロウ」ウルトラの母  
の人間体である緑のおばさん

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◆ペギー葉山の家族

ペギー葉山さんの家族について
調べてみました。


ペギー葉山さんの夫は、根山淳さん。
お二人の間には息子さんがいます。
ぺギー葉山の夫 根上淳



—————————————————–
名 前:根山淳(ねがみじゅん)
本 名:森 不二雄(もり ふじお)
生年月日1923年9月20日
没年月日2005年10月24日(82歳)
出 身:東京
身 長:171cm
職 業:俳優
—————————————————–
食べていくために東京で就職しようと
一時しのぎの仕事で
役者のオーディションに応募し、
合格したのが俳優のきっかけの
ようです。


その後、大映の若手スターとして活躍。
映画出演作品は100本を超えるほど。


その後、活動をテレビドラにも移し、
「白い巨塔」や
「帰ってきたウルトラマン」に
出演する俳優だったようです。


そんな根上淳さんの
大ファンだったのがペギー葉山さん。


ペギー葉山さんと根上淳さんは
1965年に結婚。


2人の間には息子が生まれ、
芸能界一のおしどり夫婦として
知られていました。


1998年に根山淳さんが脳梗塞で倒れ、
亡くなるまで自宅で介護を続けたのは
ペギー葉山さんです。

◆ペギー葉山の遺産や資産

ペギー葉山さんは多くの歌を
ヒットさせてきました。


紅白出場は14回あります。
ヒットした曲はたくさんあります。
カラオケでも歌われると思います。
印税収入はいくらあるのでしょうか。

●ペギー葉山のヒット曲「南国土佐を後にして」

ヒット曲から考えてみる

これは200万枚を越す大ヒット。


昔は、音楽の曲はレコードで販売して
いました。
レコードのことをLPと言います。


だいたい1つのレコードが2000円
くらいとすると、


2000円×200万=40億円


このうち、
音楽の印税は次のような配分
だそうです。


—————————–
作詞家には1.5%
作曲家には1.5%
歌手 には1.0%
—————————-


となると、
ペギー葉山さんには
40億円×1.0%=4000万円


つまり、
1曲大ヒットでペギー葉山さんに
印税収入として入ってきたのは
おおよそ、4000万円です。

●ペギー葉山のカラオケの曲「ドレミの歌」

「ドレミの歌」カラオケから考えてみる

ミュージカル劇中歌「ドレミの歌」は
ペギー葉山さん自身が訳詞で紹介。


音楽教科書にも掲載されていたことは
皆さんもご存知だと思います。


カラオケで歌が歌われると、
いくら印税収入が入ってくるので
しょう。


———————————-
カラオケは、1曲歌われると
作詞家には 7円
作曲家には 7円
歌手には  1~3円
———————————–
印税収入が入ってくるそうです。


となると、
ドレミの歌が1日にカラオケで
歌われる回数を50回と仮定すると、


50回/日×31日=1550回/月

1550回/月×12か月=18600回/年

18600回/年×7円(作詞)=130,200円


つまり、
1つ、作詞すると年間13万円くらい
印税収入が入ってきます。


以上のことから、
ペギー葉山さんが歌手として
歌った曲はたくさんあります。
紅白に14回も出場する大物歌手です。


ヒット曲も10曲以上。
カラオケでも10曲以上あります。


さらに、
歌手やタレント、日本歌手協会役員や
夫の介護からの講演活動など、
様々な肩書を持っており、
デビューからずっと
第一線で活躍されておられました。


ペギー葉山さんのご主人も
俳優で映画やテレビで活躍されていた
ので、資産は十分あったと思われます。


ということで、
ペギー葉山さんの遺産や資産は
数億円はあると思います。


それは、
息子さんに引き継がれるでしょう。

◆まとめ

・ペギー葉山は歌手でタレントですが
 役員や講演活動もしていた活動的な
 人だった!

・ペギー葉山の夫は俳優の根山淳。
 オシドリ夫婦であり、
 亡くなるまで自宅で介護をしていた。

・ペギー葉山の資産や遺産は数億円
 である可能性が高い。

・ペギー葉山は多くの人に愛された
 昭和の大物歌手だった!