安土桃山時代から江戸時代の武将として有名な人物が真田幸村です。
豊臣側の武将として大坂夏の陣において、徳川家康の本陣まで果敢に攻め込んだ活躍が「日本一の兵(つわもの)」と評され、広く知られていますね。
戦では強いですが、普段は物腰が柔らかく、多くの人に好かれていた真田幸村。
彼もまた、多くの名言を世に残しています。
真田幸村の名言の意味や、名言から学べることを1つ1つ詳しく見ていきましょう。
真田幸村の名言1「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか」
「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか」
こちらの名言は、関ヶ原の戦いにおいて、真田家が東と西のどちらの軍につくかの決断する際に、真田幸村が放った言葉です。
身分やお金などの私欲に溺れ、他人への恩を忘れる者は、果たして人と呼べるのかという意味合いの名言になります。
真田幸村は戦に強かったので、東軍が真田幸村を味方に付けようと莫大な報酬金を提示しますが、真田幸村はこれを断固として拒否しています。
理由として、西軍に真田幸村がお世話になった豊臣秀吉の存在があったからです。
豊臣秀吉に返すべき恩があるという強い意志のもと、真田幸村は西軍の味方に付いたという流れになっています。
人はどうしてもお金などの欲に目が眩みがちですが、欲深すぎると大切な物を見失ってしまいます。
欲を我慢し、受けた恩を大切にすることも時には必要だと教えてくれる名言です。
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真田幸村の名言2「夢を掴んだ奴より~」
「夢を掴んだ奴より、夢を追っている奴の方が、時に力を発揮する」
夢を叶えてしまうと気が緩んでしまう、夢を追いかけて努力し続けていると、その努力がいざという時に発揮されるという意味の名言です。
「時に」という文言を使っていることから、真田幸村は夢を叶えた人を無碍にしているわけではないと分かります。
ただ、夢に向かっている人の方が努力を積み重ねているので、いざという時に強いということを語っています。
確かに、目標を達成してしまうと、そこで努力も辞めてしまうということは多いですね。
日々の積み重ねを辞めてしまうと、人はどんどん劣っていってしまいます。
いざという時に力を発揮するためには、毎日のコツコツとした努力や鍛錬が必要でしょう。
夢を叶えてしまった人も次の目標を見つけて、努力を続けた方が良いことを学ばせてくれています。
真田幸村の名言3「定め無き浮世にて候へば~」
「定め無き浮世にて候へば、一日先は知らざる事に候。我々事などは浮世にあるものとは、おぼしめし候まじく候」
こちらの名言は、大阪夏の陣の前に、真田幸村が義兄である小山田茂誠に宛てた手紙に綴っていたものです。
現在のような不安定な世の中では明日はどうなるか分からない、もはや我々はこの世にいないものとして考えましょうという意味になります。
真田幸村が、戦に挑むために覚悟を決めていたことが伝わってきます。
現代では、これほどまでに死の覚悟を決めることはなかなかありませんよね。
しかし、何事にもこれくらいの覚悟と気合を持って挑んだ方が良いことを、真田幸村は戦での活躍とともに教えてくれています。
命懸けでやってみることで、想像以上の成果が得られるかもしれません。
何かに挑戦したいと思っている方は、この名言を心に置いておいてみましょう。
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真田幸村の名言4「関東勢百万も候へ、男は一人もいなく候」
「関東勢百万も候へ、男は一人もいなく候」
こちらの名言は、戦国最後の大戦とも言われた大阪夏の陣の内の1つ、誉田の戦いで真田幸村が発した言葉です。
関東には数多くの兵がいるが、男と呼べるほどの人物は1人もいないといった意味を込めています。
誉田の戦いにおいて、真田幸村は殿(しんがり)という役割を務めています。
殿は自軍が撤退する際に、味方の盾となって1人でも多く撤退させるという役割を持っています。
真田幸村は敵の大軍に立ちふさがって豊臣軍の撤退を成し遂げ、この言葉を発したといわれています。
「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか」の名言のように恩義を尽くして戦に挑んだ真田幸村らしく、非常にかっこいい名言ではないでしょうか。
真田幸村の名言5「いざとなれば損得を度外視できるその性根~」
「いざとなれば損得を度外視できるその性根、世の中に、それを持つ人間ほど怖い相手はいない」
損得を無視してやり遂げる覚悟を持つ人間ほど、この世で怖い存在はないという意味の名言です。
戦国時代では、ほとんどの武将がその時に強い方や報酬によって、味方に付く軍を決めるものです。
損得勘定に流されず、どんな勧誘も無視して豊臣軍に尽くしてきた真田幸村らしい名言ではないでしょうか。
人間関係を損得ばかりで作っていると、いつかは裏切ったり、関係が長く続かないことが多いですね。
この名言を参考にして、損得勘定に左右されない間関係を作っていくと、自分と相手の間には信頼が生まれることを教えてくれています。
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真田幸村の名言6「人の死すべき時至らば~」
「人の死すべき時至らば、潔く身を失いてこそ勇士の本意なるべし」
目的を達成するために命を捨てる必要があるならば、潔く玉砕することが勇士の本意であるという意味を込めた言葉です。
この名言は、関ヶ原の戦いの直前、真田家の行く末を真田幸村とその父と兄で語り合っていた際に発したとされています。
実は、大阪夏の陣において、兄である真田信幸だけは東軍の味方に付くことになります。
そして、真田信幸が「もし西軍が敗北してしまっても、父と幸村だけは処刑されないようにしたい」という旨の言葉を発します。
その言葉に対しての返答が、こちらの名言だったそうです。
戦国時代は、覚悟の強い者ほど戦に強いといわれますが、真田幸村はまさにそうだったのではないでしょうか。
これだけ強い覚悟って、なかなか持てませんよね。
真田幸村の名言7「部下ほど難しい存在はない」
「部下ほど難しい存在はない」
どんなに忠実な家臣でも、1度恥をかかせてしまうと主人を憎んでしまうので、忠実な物ほど丁寧に扱わなければならないという意味を込めた名言です。
また、忠実な家臣に対してぞんざいな扱いをすると、自分が道を誤った時に、誰も意見しなくなり正してくれなくなるという意味も含めています。
真田幸村は、常に家臣に対して細心の配慮をしていました。
真田幸村が家臣に好かれていた理由がよく分かります。
この名言は、部下を持っている上司の方へ覚えておいてほしい言葉ですね。
部下との円滑なコミュニケーションが、後々の自分の活躍にも影響してきます。
トップだからといって天狗にならず、部下との人間関係も大切にしなければならないことを学ばせてくれます。
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真田幸村の名言8「十万石では不忠者にならぬが~」
「十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」
大阪夏の陣の前に、徳川家康から勧誘のために提示された報酬を聞いて、真田幸村が放った言葉です。
大坂冬の陣で真田幸村を恐れた徳川家康は、大阪夏の陣でどうしても真田幸村を寝返らせたく、最初は10万石の報酬を提示していました。
しかし、これを真田幸村に拒否され、最終的には信濃一国を報酬として与えるとしますが、これも真田幸村は断っています。
10万石では寝返らないけれど、信濃一国ならば寝返ると思いましたか、という意味の名言になっています。
一国というのは、戦国時代においてかなり大きな報酬ですが、真田幸村はこれを一蹴できるほど強い恩義を持っていたことが分かります。
普通の武将であれば、簡単に寝返ってしまうところです。
それほどまでに揺るがない恩義が、真田幸村の強さの秘訣ともいえるでしょう。
真田幸村の名言9「日本の半分をもらっても寝返るつもりはない」
「日本の半分をもらっても寝返るつもりはない」
こちらの名言は「十万石では不忠者にならぬが、一国では不忠者になるとお思いか」の名言とともに、真田幸村が放った言葉です。
一国をもらっても揺るがないし、たとえ日本の半分をもらっても、豊臣秀吉を裏切るつもりはないという意味を込めています。
ここまで忠実な部下を持った豊臣秀吉が羨ましくなってきてしまいますね。
1度受けた恩や、交わした約束を貫き通す真田幸村の責任感の強さは尊敬に値します。
現代社会でも、真田幸村のように、恩や約束に熱く生きてみるのもいいかもしれません。
真田幸村のような恩を忘れない人になってみたいものですね。
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真田幸村の名言10「攻撃こそ最大の防御」
「攻撃こそ最大の防御」
攻撃の手を休めなければ、それは最大の防御になるという意味の名言です。
戦で多くの成果を残している真田幸村ですが、真田幸村が勝利していた理由が分かる名言になっています。
確かに、防御に走るとその隙を突かれて敗れてしまうこともありますよね。
自軍が攻撃を辞めないことで、相手は防御するしかなく攻撃もできないので、自軍にとって最大の防御になります。
こちらの名言は現代社会においても、非常に役に立つ名言かと思われます。
下手な駆け引きをするよりは、攻めに徹する方が効率が良いということを教えてくれています。
ビジネスにおいても、守りに入ってばかりではなく、常に攻めの姿勢でいることも重要であることが分かります。
真田幸村の名言11「真田は日本一の兵~」
「真田は日本一の兵、古(いにしえ)よりの物語にもこれなき由」
真田幸村は日本一の兵であり、古くから伝わる物語の中にも匹敵する者はいないという意味を込めた名言です。
これを真田幸村本人が言っているので、非常に自信に溢れていることが分かりますね。
自分自身にこれほどまで自信を持てるというのは、かなり羨ましいことです。
自信を持っているからこそ、数々の成果を残しながら活躍してこれたのだろうと思います。
現代では、これほどまでに自分に自信を持っているという方は少ないのではないでしょうか。
真田幸村を見習って、自分に自信を持ってみるのもいいかもしれません。
自信を持つことでこれまでできなかったことに挑戦できるようになったり、行動の幅も広がることを、真田幸村がその人生で証明してくれています。
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真田幸村の名言12「必ず再び合戦になる~」
「必ず再び合戦になる。私たち親子は一年中に討ち死にするでしょう。」
「恩義を忘れ、私欲を貪り、人と呼べるか」の名言と同じ犬伏の密議の場で、真田幸村が放った言葉です。
家族で味方に付く軍が分かれてしまいますが、最終的に真田幸村は家族を捨ててでも豊臣秀吉への恩義を選びます。
戦において、家族や身内への情は禁物ではりますが、なかなか簡単に割り切れるものではありません。
しかし、真田幸村は自分の信念に従い、しっかりと行動で示しています。
真田幸村が精神面でも強い人物であったことが分かります。
何かを選ぶために、大切なものを捨てなければならない状況に陥った時、この言葉を思い出すと、きっと励みになるかと思います。
真田幸村の名言13「今はこれで戦は終わり也~」
「今はこれで戦は終わり也。あとは快く戦うべし。狙うは徳川家康の首ただ一つのみ」
大阪夏の陣において、真田幸村が徳川家康の本陣へ突撃する際に放った言葉です。
気持ちよく戦って、徳川家康の首だけを狙いに行きましょうという意味合いになります。
真田幸村の、本陣への突撃は非常に激しいもので、あの徳川家康に2度も自決を覚悟させたほどだといわれています。
それくらい、真田幸村は気迫に満ち溢れていたのでしょう。
結果的に、あと1歩のところで真田幸村は破れてしまいますが、きっと後悔はなかったものと考えられます。
目標を1つに絞ることって、目標を達成するために必要なことですよね。
目標がたくさんありすぎると、さまざまなところへ気が散り、いちばん重要なことへ集中できなくなってしまいます。
1つの目標に対して、全力で挑むことの大切さを教えてくれる名言です。
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真田幸村の名言14「この幸村、ただ命を長らえているだけの処を召し出され~」
「この幸村、ただ命を長らえているだけの処を召し出され、武士としての面目を立てて頂いた身、このご恩、土地や金子などに到底変えられない」
こちらは、真田幸村が豊臣秀吉へ感じている恩義の強さが分かる名言です。
大坂冬の陣の後、和睦と称した報復行為で徳川家が大阪城の堀を埋めてしまうという出来事がありました。
これによって、大阪城の南側に築いた真田丸(出城)がなくなってしまうのです。
さらには、信濃一国を報酬とすると言って、徳川家は真田幸村を口説いていますね。
それでも真田幸村が豊臣家から離れなかったのは、関ヶ原の戦いで敗れた真田幸村を、豊臣秀吉の忘れ形見である豊臣秀頼が救ってくれるたからです。
戦に敗れてしまっても、自分を必要としてくれたからこそ、真田幸村の豊臣家への恩義は計り知れないものがあります。
それこそ、土地をもらっても大金をもらっても、豊臣秀吉に受けた恩にはかなわないということです。
これだけ忠実な部下を持って、豊臣秀吉も幸せだったことでしょう。
こんなにも忠義を示せる相手に、私たちも出会ってみたいものですね。
真田幸村の名言15「人は、自分を篤く思ってくれている人~」
「人は、自分を篤く思ってくれている人と生死を共にしたいもの」
真田幸村は家族や家臣などの志願者を連れ、地元である九度山を出て、大阪城に出向いたことがあります。
大阪城まで無事にたどり着くのは難しいことではありましたが、志願した者たちは真田幸村を止めることなく、黙って着いて来てくれたそうです。
その際に、負け戦にも着いて来てくれる部下たちと、最後はいっしょに死にたいものだという意味を込めて、この名言を残しています。
家臣たちへの感謝の気持ちを、遠回しではありますが、真田幸村は伝えたかったのだろうと思われます。
家臣たちに慕われていた真田幸村だからこその名言と言えますね。
負けるであろう事にも着いて来てくれるような部下を、現代に生きる私たちも育てていきたいですね。
そういった人々に囲まれて生きる人生は、きっと素敵なものになるでしょう。
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真田幸村の名言のまとめ
真田幸村の名言の意味やそこから学べることをまとめてきました。
非常に恩を大切にされている人物でしたね。
戦に強かった理由が分かっていただけたかと思います。
誰かから受けた恩を大切にするのは、簡単なことに思えて意外と難しいものです。
もし、何かを裏切ってしまいそうな時は、ご紹介した真田幸村の名言を思い出してみましょう。
きっと、自分にとって大切なものを教えてくれる鍵になりますよ。