本能寺の変で織田信長を討ったことで有名な明智光秀。
そんな明智光秀は、外交、政治など多くの分野でオールラウンドの才能の頭角を現してたと言われています。
今回は、明智光秀の名言の意味や、名言から学べることをご紹介いたします。
明智光秀の名言1「あの人物は俺の重臣だが、昔父の領内で農夫をしていた。~」
「あの人物は俺の重臣だが、昔父の領内で農夫をしていた。それを父が登用してまず足軽にした。おそらく、あの時の恩を忘れず、農民だった初心で父の霊を弔っているのだ。武士はすべてああありたい。笑うお前達は馬鹿だ」
明智光秀の父の葬式で、重臣の立派な武士が刀も持たずに農民のような格好で焼香をしました。
その武士の姿を見て嘲笑する周囲の人たちへ向け、明智光秀が窘める意味を込めて放った言葉こそがこの名言。
この言葉を言われた人達はきっと笑ってしまったことを恥ずかしく思ったことでしょう。
「初心を忘れず、受けた恩を忘れず」というのは、どんな場面においても大切にしなければならない基本的な教訓です。
受けた恩を忘れずに初心を持って父の霊を弔ったこの武士だからこそ、明智光秀も2代にわたって重用したのでしょう。
現代の仕事においても人との繋がりなくして成果をあげる事は不可能であり、「一緒に仕事をしたい!」、「ぜひ大きなプロジェクトを任せたい!」と仕事仲間から思ってもらえるのは、ここで紹介した武士のような精神を持った人である事は間違いありません。
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明智光秀の名言2「瓦礫のように落ちぶれ果てていた自分を召しだし~」
「瓦礫のように落ちぶれ果てていた自分を召しだし そのうえ莫大な人数を預けられた。一族家臣は子孫に至るまで 信長様への御奉公を忘れてはならない。」
この言葉は明智光秀が書き残したものです。
織田信長に仕えるまでは、1人も部下が居ないような落ちぶれた武士だった明智光秀。
織田信長に仕えて10年の短さで、なんと数万人もの規模の軍隊を指揮する大名へと転身をとげたとか!
この大躍進の背景には、織田信長の趣味・嗜好を徹底的にリサーチして贈り物をしたりする事によって的確に信頼を勝ち取った明智光秀の処世術がありました。
現代においても、仕事をする上でお客様や上司の信頼を勝ち得る為の努力は必須です。
人は好き嫌いといった感情に容易く流されてしまう生き物です。
だからこそ、スムーズに仕事を進める為には明智光秀のように嫌われない努力が必要なのでしょう。
明智光秀の名言3「仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。~」
「仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。これをみれば、土地百姓は可愛いことなり。」
江戸時代初期に記された文書に明智光秀が言ったとして紹介されたこの言葉。
「百姓が年貢を誤魔化すくらい、僧侶や武士の嘘と比べたら可愛い物じゃ無いか」というような意味になります。
この言葉からは、身分差がはっきりしていた戦国時代において、明智光秀が身分差に寛容であった事が伺えます。
同じ発言をしているのに「だらしない格好をしている人が言う事だから」とか「仕事ができそうな見た目の人だから」とかと言って、発言の受け取り方に差をつける事はありませんか?
そういった先入観は時に判断を鈍らせます。
仕事において、それまでの実績など大切な判断基準となるファクターがあることは事実。
しかし、大切な判断を迫られた時こそ、今一度この明智光秀の言葉を思い出して、先入観で目が濁らないように心掛けたいものですね。
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明智光秀の名言4「敵は本能寺にあり」
「敵は本能寺にあり」
本能寺の変はあまりにも有名な話ですが、その時に発言されたこの言葉もセットで覚えている人も多いでしょう。
近畿の大名を束ねる地位にあった光秀は他の家臣たちが全国へ領地を広げる為に出払っている隙をついて信長を討ち取ることに成功します。
しかし、その後すぐに討たれてしまいます。
織田家に取って代わる日を虎視淡々と狙っていたのでしょうが、最後の最後で詰めが甘かったと言わざるを得ません。
現代社会においても「成功が見えた途端に気が抜けて最後の最後で失敗した」といったエピソードはよく耳にすると思います。
しかし、仕事においてこの詰めの甘さは致命的であり、「見通しが甘かった」では済まされません。
もし、自分が光秀のように詰めが甘いと思うのであれば、仕事の計画や進捗を上司にチェックしてもらう、提出前に一息おいて自分の成果物を見直す等の改善策を模索してみてはいかがでしょうか。
明智光秀の名言5「時(土岐)は今 雨が下しる(天が下知る) 五月哉」
「時(土岐)は今 雨が下しる(天が下知る) 五月哉」
これは明智光秀が詠んだ句です。
表向きは「雨が降る季節になりましたね」といったところですが、裏の意味は「私が天下人となる時がきた!」とされており、謀反の予告とも言われています。
こんな句を読む明智光秀はかなりの野心家だと思われます。
天下人となる事はありませんでしたが、予言して実際に行動を起こす、まさに明智光秀は有言実行の人です。
ビジネスのシーンでも、この有言実行は大切です。
実行はもちろんのことですが、「自分はこんな仕事をしています!」「自分はこれに挑戦しています!」などのアピールがないと中々評価に繋がりません。
「自分はこんなに頑張っているのに評価されない。」と悩んでいる人は、ぜひこの有言実行の有言を意識して行動してみると良いでしょう。
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明智光秀の名言6「心しらぬ 人は何とも 言はばいへ~。」
「心しらぬ 人は何とも 言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ」
明智光秀の辞世の句とされるもので、「世間が何と言おうと構わない、命も惜しくないし 名声も惜しくない」という意味です。
明智光秀は織田信長を討ち取った後、なんと僅か13日という短い期間で滅ぼされてしまったとか!
その間に謀反をした理由を記す事はありませんでしたが、この句からはなんの後悔もない事がわかります。
人生が終わるその瞬間に一切の後悔も語らない明智光秀のように死ねる人はそう多くはありません。
人生100年時代と言われる現代では、定年という概念がなくなりつつあり、仕事をする期間がどんどんと伸びていく事が予想されますよね。
そんな時代だからこそ、仕事に楽しさややりがいを見つける事が大切になっていくでしょう。
自分の好きなことを仕事にする事はかなり難しい事ですが、今現在の仕事の中からやりがいや楽しさを見つける事はできるはずです。
明智光秀の名言7「順逆二門に無し 大道心源に徹す~」
「順逆二門に無し 大道心源に徹す 五十五年の夢 覚め来れば 一元に帰す(じゅんぎゃくにもんになし、だいどうしんげんにとおす、ごじゅうごねんのゆめ、さめきたれば、いちげんにきす)」
これは、明智光秀が死際に残したとされる漢詩です。
以下のような意味があるとされています。
「たとえ織田信長は討ったとしても、道理にかなっているか否かを責められる理由はない。
織田信長も私も等しく武士の家系であり、敬うのはただ一方の他ない。
その根本的な道徳は私の心の中にある。それを知るものはやがて知るだろう。
とはいえ五十五年の夢も醒めてみれば、私も世間の様々な評判に洩れるものではなかった。
しかしその世間の評判をなす者もまた一つの根源に帰らなければならないだろう。」
明智光秀は最期の一瞬まで一切後悔していない事がよくわかりますね。
このような強烈な達成感は仕事でも味わう事ができます。
そして、それを味わうためには誰にも負けないような努力が必要です。
努力の人と言われるイチローはオリックス入団当初、炎天下のデーゲームをこなした上で、夕食の後に、なんと夜中の2時ごろまでトレーニングをしていたそう!
それ程までに、ストイックに自分の仕事に打ち込むことができれば、必ずや死際まで自信に満ち溢れられるような強烈な達成感が得られるでしょう。
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明智光秀の名言8「光秀こと、近年、信長にたいし、いきどほりをいだき~」
光秀こと、近年、信長にたいし、いきどほりをいだき、遺恨(いこん、いつまでも残る恨み)もだしがたく候。今月二日、本能寺において、信長父子を誅し(ちゅうし、殺すこと)、素懐(そかい、かねてからの願い)を達し候。
本能寺の変の後、明智光秀が小早川隆景に宛てた書状に記載された一文です。
「織田信長に対する恨みや怒りを抱き、織田信長 及び その後継である織田信忠を討った。そして、その目的を果たしたので自分を支援して欲しい。」といった旨の内容が書かれていました。
しかしこの書状は、小早川隆景に届けられる道中で豊臣秀吉が発見したとされています。
仔細は不明ではありますが、本当に織田家になり代わり天下人となろうと望むのであれば、事を起こす前の手回しが少々足りなかったと言わざるを得ない明智光秀。
事前に味方してくれそうな武将などに声を掛けて協力を取り付けていれば…。
織田軍の誰に見つかっても解読できないような暗号があれば…。
その後の未来も変わっていたかもしれません。
この手回しという作業は仕事においても非常に重要です。
例えばプロジェクトを次の工程に進めるか否かを決める為、社長へ承認レビューを行う場合、なんの事前の手回しをしていないとどうなるでしょう?
会議参加者は初見の資料で説明を受け、色々な疑問が浮かんでくるはずです。
そして、承認をもらうのに膨大な時間が掛かり、最悪の場合、会議を2回、3回と重ねる羽目になるかもしれません。
レビューを行う人は最低でも以下の3点をこなしてから会議に臨むべきです。
1.会議資料を参加者に事前に配布する。
2.上司や、信頼できる先輩などの会議で味方になって欲しい人へ事前に会議の内容、決定事項、目指す終着点(承認が欲しい、延長を決めて欲しい等)を共有し、賛同を得る。
3.上記2.で示した目指す終着点に辿り着くために不足している物はないか有識者や上司にチェックしてもらう。
こういった手回しをする事が出来れば、会議の進行をスムーズに進め、短時間で自分の欲しい結果を出す事ができるでしょう。
明智光秀の名言9「いざ、お前を50日のうちに輿(こし、身分の高い人が乗る乗り物)に乗せる身分にしてみせる」
いざ、お前を50日のうちに輿(こし、身分の高い人が乗る乗り物)に乗せる身分にしてみせる
まだ浪人で生活費も満足に稼げないような生活を送っていた、明智光秀。
自身の髪を売って夫の歌会参加・開催費用を捻出していた妻へ贈ったのがこの言葉です。
後に、織田信長に仕え、大出世を果たした明智光秀は、本当に妻を輿に乗せる身分(=高い身分)にすることに成功しました。
明智光秀の妻は女性の命とも言える髪を売ってまで支えたいと想うだけの伴侶と出会えて幸せだったことでしょう。
また妻を大切にする明智光秀を知った周囲の人間も、彼が義理人情に厚い人間であると信頼を寄せたに違いありません。
ビジネスにおいても同じ事が言えます。
1人きりで成し得る仕事など1つもないのですから、いかに周囲から「あの人を助けてやりたい」と思われるような人間関係を築かなければなりません。
家族も仕事仲間からも等しく信頼されるよう心がける事は、より良い仕事をしていく上で切っても切れない関係である事は言うまでもありません。
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明智光秀の名言10「自分は他の誰でもない、煕子殿を妻にと決めている」
自分は他の誰でもない、煕子殿を妻にと決めている
非常に愛妻家である事が知られている明智光秀。
この言葉も妻への愛を伝えるために明智光秀が言ったものであるとされています。
家の外では、主君に気を使い、戦をし、気の抜けない日々を送ったであろう明智光秀。
彼は家庭内に心安らげる居場所があったからこそ、織田信長の元で出世することが出来たのでしょう。
人間というものは常に気を張り詰め続ける事が出来ない生き物です。
現代社会においてもストレスという物が問題視され、ストレス発散・コントロールの大切さが各所から発信されています。
人生100年時代を迎え、できるだけ長く働くことが求められる我々現代人にとって、自分なりの息が抜ける場所や方法を早急に見つける事が求められるでしょう。
明智光秀のように伴侶を大切にし、家庭に心安らげる居場所を作る事も1つの賢い選択肢と言えます。
明智光秀の名言11「たとえ天下をとったとしても、妾(側室)は持たぬ」
たとえ天下をとったとしても、妾(側室)は持たぬ
明智光秀は言葉通り、生涯妾を持つ事はありませんでした。
妻が亡くなった後は、妻の妹を娶り正妻とする徹底ぶりだったそう。
妻へ誠実であり続けた明智光秀。
彼の言葉は一貫性があり、非常に信頼できる人物であると感じます。
ビジネスにおいても、発言に一貫性のある人は信頼されやすく、逆に発言がブレブレの人は信頼されにくいですよね。
例えば、上司に事前にネゴを取って行動したにも関わらず、後になって「そんな話は聞いていない!」と、その上司に掌返しをされた経験はありませんか?
社会人になると、そういった信頼できない人は結構いるものです。
「信頼できない人」というレッテルを周囲から貼られないよう、自分の発言には責任を持って一貫性を貫く事がビジネスマンにとって最も大切な事と言えるでしょう。
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明智光秀の名言12「わしは千人の頭になることくらいで終わるつもりはない。もっと大きくなる」
わしは千人の頭になることくらいで終わるつもりはない。もっと大きくなる
若かりし頃、大黒天を拾った明智光秀。
「大黒を拾えば千人の頭になれる」という話を部下から聞き、なんとせっかく拾った大黒天を捨ててしまったそうなのです!
そして、もっと大きな野望があることを周囲に知らしめるため、この言葉を発したと言われています。
結果として、織田信長の元で数万の軍隊を指揮する大名となった明智光秀。
これは、心に強く将来のビジョンを持ち、ブレることなく邁進し、努力できたからこその成果とも言えるでしょう。
現代においても、明智光秀のように心に強く目標を持つ事は非常に大切な事。
何かを成し遂げようとすると、必ず壁が立ち塞がります。
難なく乗り越えられる壁もあれば、何度も失敗して心が挫けそうになるような困難な壁もあるでしょう。
そんな時、自分がどこへ向っているのか、どうなりたいのかを心に強く描けていないどうなるでしょうか?
きっと、困難な壁にぶつかった途端に目標を見失い、成し遂げたかったものを成し遂げられなくなるでしょう。
仕事をする上で、大なり小なり目標を立て、壁にぶつかりながらゴールを目指すというのは日常といっても過言ではありません。
だからこそ、自分が最初に立てた目標をなんとしてでも達成するのだという強い心を鍛える必要があります。
明智光秀の名言13「鳴かぬなら 私が泣こう ホトトギス」「鳴かぬなら 放してしまえ ホトトギス」
『鳴かぬなら 私が泣こう ホトトギス』『鳴かぬなら 放してしまえ ホトトギス』
出典は不明。
織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の有名なホトトギスの句が、後世でその人柄を伝えるために書かれた句である事と同様に、明智光秀の人柄を表すために後世の人が詠んだ句であると思われます。
本能寺の変を起した事から冷酷なイメージをもたれる方も多い明智光秀。
しかし、明智光秀は妻を大切にしたり民を大切にしたりと、優しい一面が垣間見えるエピソードも多く残されています。
「私が泣こう」や「放してしまえ」といった中七はそういった優しい性格を表現したかったのでしょう。
ただ、リーダーという立場の人が、「私が泣こう」や「放してしまえ」と言ってしまうのは、ホトトギスを見捨てているようで少し恐ろしく感じます。
自分がリーダーであった場合、「部下の仕事の進捗が悪い」となったらどう対応しますか?
「私が泣こう」タイプは、「自分が部下の分も仕事しよう」となるでしょう。
「放してしまえ」タイプは、「今の仕事から外して、他の簡単な仕事をさせよう」となるでしょう。
どちらのタイプも、ある意味優しいのかも知れませんが、どちらもリーダーとしては失格です。
「私が泣こう」「放してしまえ」共に、部下を育てる気が全くありません。
適材適所を見極めて人材配置する事も大切ですし、少し手間が掛かってしまっても『育てる』という気持ちで部下の仕事をサポートしてあげる事も大切なリーダーの役割です。