毛利元就はもともと次男で生まれ相続権のなかった毛利元就は幼い時に実の両親を失い、19歳で兄を失い、さらには甥までをも失ったことで、毛利家を相続することに。
策略家としても有名な武将な毛利元就。そんな毛利元就の名言をお伝えしていきますね。
毛利元就の名言1「道を歩いてつまづくのはありがちなことだ。~」
道を歩いてつまづくのはありがちなことだ。少しも気にすることはない
幼少の頃、毛利元就を抱いて水の中を歩く世話役が躓き、溺れてしまった毛利元就。
平身低頭して詫びる世話役に対し、毛利元就は「気にするな。」と寛大な対応をとったそう。
「弘法も筆のあやまり」というように、どんなに偉い人物であっても失敗はするものです。
仕事においても失敗のリスクを十分に考えて行動しなければなりません。
リスク回避の為にも、業務の要所要所で「ミスをしていないか」、「不備はないか」などのチェックを行う習慣を意識して身につけていきましょう。
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毛利元就の名言2「家臣がけんかして一方を殺した場合、~」
家臣がけんかして一方を殺した場合、殺した者をお助けになりますか?この鶏はまさか狐に対して不埒なこともいたしますまい。それなのに食べ殺した罪は決して軽くはありません。鶏も私の家来。狐もこの邸地にいるから家来も同然です。だから狐を殺すのは道にはずれてはいません。
飼っていた鶏が狐によって動きが取れない事を知った毛利元就。
なんと当時七歳だったにも関わらず、毛利元就は元凶となった狐を殺そうとしたのだそう!
これを知った毛利元就の母は狐を殺すのをやめるよう注意しましたが、毛利元就は「鶏も狐も家臣なのだから、殺すのは当たり前」だと豪語したのだとか。
難しそうな話を長々としているので、まともに見えるこの言葉。
ですが、よくよく考えると”鶏や狐”=”家臣”というのは理論が飛躍しすぎですよね。
この巧みに自身の正当性を主張した毛利元就の手法、実は現代でも非常に役に立ちます。
自信たっぷりに難しそうな話をする人の事を、「この人はきっと仕事が出来るんだろう」「この話が理解できないのは、自分が不出来なせいだ」と思った事はありませんか?
こう思ってしまうのは人間の心理として自然なことであると言えます。
この現象を逆手にとって自分自身を上手く演出することが出来れば、労することなく自分の意見を通す事も可能となるでしょう。
毛利元就の名言3「中国地方の全部とは愚かなことだ。~」
中国地方の全部とは愚かなことだ。天下を全部持つようにと祈ればよいものを。天下を取ろうとすれば、だんだん中国地方は取れる。中国地方だけを取ろうと思えば、どうして取れるだろうか。
厳島神社へ行った際、伴っていた従者の一人が「中国地方の制覇を」と祈った事を耳にした毛利元就。
それに対して、「天下を取ろうと思わなければ、中国地方の制覇など無理だろう」と言い返したのでした。
この言葉の本質は、「大きな目標を掲げなければ、その手前の小さな目標でさえ達成できない。」という事。
それは、仕事の目標設定でも同じことが言えます。
現状で達成できそうだなと思える程度の目標を達成したところで、小さな達成感しか味わえません。
ましてや、成長など感じる事はないでしょう。
逆に、今の自分では達成できそうにない程の高い目標設定をすれば、自然とその目標を達成する為にどうしたらいいか日々考えるようになり、それは行動にも変化をもたらします。
そうしていくうちに、最初は到底達成できそうにないと考えていた目標も、あと少しで手が届きそうだと思うくらい自分自身が成長していることに気が付くはずです。
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毛利元就の名言4「坂の縁故があるといっても、お主らを疑いはせぬ。~」
坂の縁故があるといっても、お主らを疑いはせぬ。わしには全く他意はない。もし疑うのなら、今わしは1人だから討ち殺すがよい!
大永三年に分家の身でありながらも毛利家の後継者となった毛利元就ですが、家督継承には一悶着あったそう。
大永四年には、なんと異母弟(相合元綱)と家臣(坂氏、渡辺氏ら)が毛利元就を亡き者にしようと計画していたとか!
それを察知し、相合元綱一派を粛清することに成功した毛利元就。
その後、毛利元就は自身の殺害を企てた坂氏一門の家臣(志道広良と桂広澄)に「坂一門であったとしても疑っていない」と諭したとされています。
志道広良はこれを信じて毛利元就の元で執務を支えましたが、桂広澄は自害。
桂広澄の死後、その子供(桂元澄)は一族共々篭城することに。
そこで、毛利元就は直々に彼らの元へ出向き、「わしには全く他意はない。もし疑うのなら、今わしは1人だから討ち殺すがよい!」と諭し、暖かい言葉をかけ、ついには篭城していた桂元澄らを家臣として再度取り込むことに成功するのでした。
毛利元就は謀反人の同族であるからと言った色眼鏡で家臣を見ず、その人自身をしっかり見ていたからこそ、この様な行動が起こせたのでしょう。
会社内でも、「あの人は部長派だから、部長の好みそうな意見しか聞いてくれないだろう」とかいって勝手に人の印象を決めつけていませんか?
人の印象は周囲の勝手な評価によって作られていることが多く、実際接してみれば全く違ったなんて事は珍しい事ではありません。
周囲の意見や勝手な思い込みをせずに人の本質を見極める力は現代社会を円滑に生き抜く為に必須のスキルと言えるでしょう。
毛利元就の名言5「敵が言いふらした計略かもしれないのに~」
敵が言いふらした計略かもしれないのに、それを我々父子の前で言いだすとはあるまじき事だ
大永四年の異母弟(相合元綱)による毛利元就殺害計画の裏で糸を引いていたとされる尼子氏一派。
その後、毛利元就と尼子氏一派との仲は険悪になったとされています。
そんな尼子氏の中でも、特に毛利元就と激闘を繰り返したとされる尼子晴久。
時期は不明ですが、尼子晴久が治める出雲に攻める直前の毛利元就へ、「尼子晴久の病気になったらしい!」と喜び、伝えてきた家臣がいたそう。
これを聞いて、腹を立てた毛利元就が放ったとされるのがこの言葉。
まさに「自分の目で見たものしか信じぬ!」という強い意思を感じます。
仕事においても情報収集する機会は多く、嘘の情報にいちいち惑わされていては作業効率が落ちてしまうなんてことも。
多くの情報が溢れる時代を生きる我々こそ、毛利元就の様な「情報の真贋を見極めよう」とする強い意思を持つことが求められるでしょう。
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毛利元就の名言6「我は酒が飲めぬから、かように長生きなのだ。~」
我は酒が飲めぬから、かように長生きなのだ。酒を飲まなければ、70、80まで健康でいられて、目出度いことだ。
父や兄が酒によって短命に終わってしまった毛利元就。
彼の孫である毛利輝元が酒が飲める年になった際に、「酒をなるべく飲まない様に」という願いを込めて毛利輝元の母へ宛てて送った手紙の一文がこの言葉。
毛利元就は深酒で寿命を縮めることを心配していますが、それ以外にも社会的に甚大な被害を被るとこともあると知っているでしょうか?
「深酒をして意図せずハラスメントをしてしまった」
「無礼講だからと上司に言われ、よった勢いで失礼な言動をとってしまった」
などと言った話を一度は耳にしたことがあるかもしれません。
ビジネスの世界と飲み会は切ってもきれない関係ですが、上述した様な酒席での失敗は社会における自分自身の地位を大きく下落させる事に繋がります。
仕事が絡む飲み会はお酒を飲むことが目的ではなく、仕事を円滑に進める為の人間関係構築や思想の共有が目的である事を決して忘れてはいけません。
毛利元就の名言7「われ、天下を競望せず」
われ、天下を競望せず
永禄9年に出雲の尼子氏を滅し、中国地方一帯を治める大名となった毛利元就。
天下を狙えるほど勢力を拡大したものの、「私は天下を競い合うつもりはない」と意思表明をしていました。
この時の毛利元就は七十歳を目前に控え、天下よりも子孫へとバトンを繋ぐ事を優先したかったのでしょう。
代替わりする時には必ず内部に混乱が生じるものです。
最悪の場合、内部崩壊が起こるなんてことも。
例えば、「営業の担当者が替わる時、次の仕事に夢中になるあまりに引き継ぎがうまく出来ず、お客様の信頼を失墜させてしまう」という様な事は決して珍しくありませんよね。
人が替わる時だけでなく、何かが変化する時こそ、変化前より状況が悪化することがない様、細心の注意を払うべきでしょう。
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毛利元就の名言8「部下の命を守るのにこれしきのことをするのは当然だ」
部下の命を守るのにこれしきのことをするのは当然だ
永禄五年から始まった出雲・島根への進攻で、家臣(岩木道忠)は左膝を矢で射られた上に矢尻が体内に残り、足を切断しないと治らないと医者にも言われる有り様となりました。
そこで毛利元就は自らの口で岩木道忠の傷口を吸い、なんと矢尻を膝から吸い出す事に成功!
足を切断する事なく治癒出来た岩木道忠は感動して、死んでこの恩に報いようという堅く決意したとか。
そんな岩木道忠へ、毛利元就は「部下の命を守るのにこれしきのことをするのは当然だ」と言ったとされています。
部下を守る為に体を張れる上司はいつの時代も理想であり、かっこいいですよね。
中には、「上司はいつも助けてくれない」などと思っている人もいるでしょう。
上司が助けてくれない理由は上司の性格が悪いのが原因?と思われがちですが、大半の場合、部下側にも多少なりとも原因があるものです。
上司も人間ですから、上司自身があなたを助けるメリットがあると見出せない限りは助けてやろうとはなりません。
仕事の態度が悪かったり、周囲への礼節を欠いたりしませんか?
一方的に庇ってもらって当たり前と思っていませんか?
与えられた課題に対して成果物を返せていますか?
今一度、自問してみてください。
毛利元就の名言9「言葉は心の使いである。~」
言葉は心の使いである。言葉によって、その人が善か悪か、才能があるかないか、剛勇か臆病か、利口か愚かか、遅いか速いか、正直か正直でないか、そうしたことがすぐにわかるものだ。
中国地方の戦乱を記した軍事記の一つである「老翁物語」に記載されている毛利元就の名言。
この文章から、毛利元就は言葉から得る情報を非常に大切にしていたと推察できますよね。。
毛利元就の様に「言葉だけでその人の内面がわかる」かどうかはさておき、古来より言葉というものには力が宿るとされてきました。
夏に「暑い」と言えば余計に暑く感じるし、暑くても「寒い」と言えば体感温度が下がった様に感じるといった感覚は誰しもが経験していますよね。
それが言葉の力です。
仕事においても、この言葉の力は非常に役立ちます。
苦手な業務でも、「楽しいな」と、嘘でもいいので前向きな言葉を発する。
そうすると、どんなに苦手なものでも少しは良いところが見えてくるものです。
また、ポジティブな態度で仕事していると、「意欲的に仕事に取組んでいる」と周囲から見られ、評価も上がりやすくなるでしょう。
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毛利元就の名言10「一年の計は春にあり、一月の計は朔にあり~」
一年の計は春にあり、一月の計は朔にあり 一日の計は鶏鳴にあり
春とは元旦、朔とはその月の一日、鶏鳴というのは朝一番の鶏がなく時間を指します。
「一年の計画は一月一日の朝にたて、一月の計画はその月の一日にたて、一日の計画は早朝にたてることが大切だ」という意味。
とても有名な言葉なので、知っている人も多いはず。
段取り八分・仕事二分とも言われる様に、仕事が成功するかどうかは”計画・準備”の完成度によって八割方決定します。
何か仕事を任された時、この段取りを後回しにしては決していけません。
「ゴールはどこか?」
「どの様な道筋でゴールを目指すか?」
「作業ボリュームと与えられたリソースは釣り合っているか?」
「スケジュールとマイルストーンは?」
こういった事を仕事を与えられてすぐに行わなければ、仕事を進めるうちに自分が何をすべきか見失うなんてことも考えられます。
さらに複雑で難易度の高い仕事であればあるほど、納期が守れず多大な損害を出すなど、もっと甚大な被害を招くことになるでしょう。
毛利元就の名言11「百万一心」
百万一心
本丸石垣工事の進捗が思わしくなかったとされる、吉田郡山城の改築工事でのこと。
毛利元就は、人柱を立てる代わりに本丸裏手にある”姫の丸”と呼ばれる場所に「百万一心」と刻んだ石を埋めるよう指示したそう。
「百」の字を一日と読めるように、「万」の字を一力と読めるようにわざと崩して縦書きに書かれており、「人々が力を合わせれば、成し遂げられない事はないのだ。」という意味であるとされているこの言葉。
ビジネスにおいても、この思想は共通しています。
一人で出来る事に限界がありますが、どんな大きな仕事でもチームを組めば達成出来るものですよね。
ただし、ここで重要なのが、「チームのメンバーがバラバラの方向へ向かって思考していては意味がない」ということ。
「同じ方向へ向かって思考する」これが出来ていないチームは、コミュニケーションエラーなどによる些細なミスから空中分解するなんてことも!
チームで動く場合、チームのパフォーマンスを最大限活かして大きな成功を掴む為にも、情報の連携は密に行い、考えを共有していくべきでしょう。
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毛利元就の名言12「この矢一本なれば、最も折りやすし。~」
この矢一本なれば、最も折りやすし。しかれども一つに束ぬれば、折り難し。汝ら、これに鑑みて、一和同心すべし。必ずそむくなかれ。
「一本の矢は容易に折れてしまうが、束になれば折れにくい。息子達よ、このことをよく考え、三人で一致団結しなさい。仲違いしてはいけない。」と、三人の息子へ一致団結を説いた毛利元就。
このエピソードは、毛利元就が六十歳の時に息子達へ14条の教訓を示した文書(三子教訓状)を元に、後の世に創作されたものであるとされています。
三子教訓状には毛利家を末長く存続させる為には、仲違いすることなく力を合わせなさいといった思いが込められており、なんとその書状は3mもあったとか!
かなり強い願いを込めたのでしょうね。
この教訓は毛利元就の子孫達へ粛々と受け継がれ、毛利家は長州藩、明治維新へと続いて行ったとされています。
「毛利元就の子孫が毛利家を絶やさぬ!」という一つの大きな目標に向かって一致団結したのと同様に、同じ目標を共有し一致団結する事は企業経営を長続きさせる為の極意です。
1980年代には約三十年とされていた企業寿命。
なんと2018年の調査では二十五年を下回ってしまいました!
では、創業三十年を超えてもなお成長し続けられる企業の特徴とはなんでしょうか?
それは、経営者が確固たる理念や哲学をもち、それを全社で共有し、その理念や哲学に基づいて各人がアクションを起こしているという事です。
経営理念や経営哲学が有名なパナソニック(創業百年以上)や、京セラ(創業六十年以上)などが今なお世界中で戦っている事を見ても、そのことがわかります。
企業の永遠の存続を願う経営者の方であれば、何らかの経営のヒントを得る為に毛利元就の三子教訓状を一読する価値があるでしょう。
毛利元就の名言13「友を得て なおぞ嬉しき桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は」
友を得て なおぞ嬉しき桜花 昨日にかはる 今日のいろ香は
毛利元就の辞世の句。
「先だった友が迎えにきたようだ。今日の桜は昨日より違った色香で、嬉しそうに見える」といった意味でしょう。
享年74歳で、死因は食道がんとも老衰とも言われている毛利元就。
孫である毛利輝元と共に、死の間際まで二頭体制を敷いていた毛利元就ですが、なんと死の二年前である永禄十二年の立花城の戦いで戦を指揮していたそう!
現代を生きる我々から見ても、寿命が長く、最後まで健康であった毛利元就は大変羨ましい存在です。
これから平均寿命はどんどん伸び、百歳を超えると言る現代人にとって、いかにして ”寿命” = ”健康寿命” とするかが非常に重要な課題となってくるでしょう。
仕事で忙しい日々の中、自分の健康に目を向ける時間はありますか?
適度な睡眠やバランスの良い食事、そして運動は健康を維持する基本の柱といっても過言ではありません。
もし、自分の生活を見つめ直して見た時に、「仕事が激務であることが原因で自身の健康を維持する時間が確保できない」と感じたのであれば、仕事を変えて見てはいかがでしょうか?
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毛利元就の名言14「一芸もいらず、能もいらず、遊もいらず、履歴もいらない。~」
一芸もいらず、能もいらず、遊もいらず、履歴もいらない。ただ日夜ともに武略、調略の工夫をすることこそ肝要である。
中国地方の戦乱を記した軍事記の一つである「老翁物語」に記載されている毛利元就の名言。
「武士は武士である事を優先すべきである。武士の基本を忘れてしまっては芸事などは害にしかならない」といった事を伝えたかったそう。
これは武士だけの格言ではないだろう。
ビジネスの世界でも、奇をてらった事をしたがる余りに仕事の基本を置き去りにしてしまう人が少なからずいる。
そういった基本を忘れた人に大きな成功はついてこないでしょう。
基礎があってこその応用であり、斬新な発想というのは基本の型を理解できているからこそ生まれるのです。
毛利元就の名言15「謀多きは勝ち、少なきは負ける」
謀多きは勝ち、少なきは負ける
大河ドラマ「毛利元就」の尼子経久の言葉だが、一説によると、毛利元就がこれを言ったともされている。
「計略が多い方が勝ち、少ない方が負ける」という意味の言葉。
この毛利元就が言ったとされる言葉は、経営者であろうが、営業マンであろうが、技術者であろうが、変わらない真理と言えます。
競合ひしめく現代のビジネスにおいて、何も考えずに適当に商品を作ったり、営業したりする人は居ないですよね?
ほとんどの企業では、”商品開発する前にマーケティングによって顧客のニーズを調査”したり、”コンセプトを決め”たり、競合他社に勝つ為の努力をしています。
また営業マンは、顧客の満足度を向上させて売り上げを伸ばす為に、日々のリサーチを欠かさないでしょう。
みんな同じく計略を練っているのですから、勝負の決め手は計略の質と量になる事は言うまでもないかもしれませんね。