椿原泰夫さんと籠池泰典氏が親しかったということが話題になっています。
椿原泰夫さんは稲田朋美防衛相の父親ですが、昨年10月に亡くなっています。
そこで、
・椿原泰夫さんの経歴や職業とは
・椿原泰夫さんの主な活動や実績
について、気になったので調べてみました。
そもそも、すでに亡くなった人なのに椿原泰夫さんの名前が話題になっているのはなぜでしょうか。
それは、籠池泰典氏が「椿原泰夫先生とは親しくさせていただきました」
というインタビュー発言が原因です。
文春砲ならぬ、籠池砲です。
今後、稲田朋美防衛相に注目が集まりそうですね。
それでは、稲田朋美防衛相の父・椿原泰夫さんはどのような人だったのか掘り下げて見ていきたいと思います。
椿原泰夫さんのプロフィール
名 前:椿原泰夫(つばきはらやすお)
生年月日:昭和7年生まれ
(1932~2016.10.8)
出身地:福井県
大 学:京都大学文学部卒
家 族:妻・直子
一人娘・稲田朋美(防衛相)
職 業:元高校教師など
政治運動家
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椿原泰夫さんの経歴
椿原泰夫さんはロシア文学に興味があったそうで、友人に相談すると、京都大学にいったらよいのではと言われて京都大学に入学するもロシア文学はなく、フランス文学しかなかったそうです。
フランス文学を勉強されたそうですが面白みを感じなかったとか。
厳格な父親には大学を変えてはもらえなかったそうです。
京都大学文学部卒業
↓
福井県立武生高等学校教諭
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京都府立高等学校教諭
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京都府教育庁 企画室長
↓
京都府立洛北高等学校校長など歴任。
歴史教育、国語教育など精力的に取り組んでいたそうです。
また、京都読書會主宰機関紙『無窮』の編集・発行を務めています。
2010年に「頑張れ日本全国行動委員会」の京都本部代表、
2014に福井県支部相談役・京都府本部顧問をされています。
椿原泰夫さんの職業
京都大学卒業後、長年にわたり高校教師をされています。
特に、歴史教育や国語教育に力を入れていたようですね。
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椿原泰夫さんの主な活動ときっかけ
椿原泰夫さんは、「保守の立場に立った政治勢力の結集を見据え、機動的な国民運動を展開する」
そのための国民運動体である「頑張れ日本!全国行動委員会」の京都本部代表をされていました。
きっかけはH22年10月に東京のデモに参加できなかったため、せめて地元京都でチラシ配りでもしようと行動したことがきっかけでした。
その時の人数は40人くらい集まり、1000枚のチラシも30分でなくなったそうです。
何とか、この行動をつなげることはできないかということから「頑張れ日本全国行動委員会」京都を発足したそうです。
直近では、「頑張れ日本全国行動委員会」京都本部及び福井支部の最高顧問をされています。
椿原泰夫さんの主な活動の実績
元高校教諭の椿原泰夫さんは関西で保守派の活動家として有名でした。
議員会館前や国会前で法案阻止などの運動を何度かされています。
2011年
民主党内閣打倒!の該当宣伝活動
2015年
平和安全法制推進!の該当宣伝活動
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椿原泰夫の教育・考え方
その1
・椿原泰夫氏自身は、京都大学文学部に入ったが、文学部に面白みがなかったため、娘には文学部以外ならどこでもいいと言っていた。
その2
・娘が大学受験する頃、国立大学に入学する男の子は勉強しかしていない。
そのような男と結婚してほしくないという理由から、国立大学と文学部以外なら、どこの大学でもいいと言っていた。
しかし、娘だから家から出すわけにはいかないと、自宅から通える同志社大学に入学させたかったとか。
その後、早稲田大学の受験はOKしたが、運よく合格したため、娘が希望する早稲田大学法学部の入学を仕方なくOKした。
その3
・小泉旋風で安倍晋三氏(当時)から 娘・稲田朋美さんに政治家へスカウトされた時、椿原泰夫氏自身は郵政民営化に反対だったため、泣いて怒って反対した。
以上のことから、椿原泰夫氏は、自分の意見や考えを通そうとする、少し偏った?性格の持ち主であるように感じました。
籠池氏との接点はわかりませんが、この椿原泰夫さんの考え方に賛同した40人の中にいたのかもしれませんね。
自分の意見が正しく、間違っていないとする考え方は籠池さんに似ているところもあるかもしれませんね。