岡平健治さんは19(ジューク)というフォークデュオグループのアーティストでした。
そこで、元19の岡平健治の今現在の年収は? 19解散理由の真相や経歴についてまとめてみました。
元19の岡平健治のプロフィールと経歴
名 前:岡平健治(おかひら けんじ)
生年月日:1979年3月28日
出身地:広島県呉市
高 校:広島県立呉工業高等学校
身 長:161cm
血液型:B型
岡平健治さんは、岩瀬敬吾さんと高校生の時に出会います。
その後、
2人組デュオで「少年フレンド」という名前で活動していました。
少年フレンドのライブ活動中にイラストレーターの326(みつる)と出会います。
3人は意気投合し、19(ジューク)を結成。
メジャーデビューを果たします。
担当は次の通り。
岡平健治:ボーカル、ギター、ハープ
岩瀬敬吾:ボーカル、ギター
326(みつる):本名は中村満。
ビジュアルプロデュース作詞担当。
その後、1999年、326(みつる)が抜けてしまいます。
3人が19(ジューク)として活躍していたのは1998年~1999年。
19(ジューク)は岡平健治さんと岩瀬敬吾さんの2人組となります。
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岡平健治の19の名前の由来とヒット曲
岡平健治の19の名前の由来
●19の結成当時、岡平健治さんと岩瀬敬吾さんが19歳だったこと
●ジュークボックスにちなんだ
この2つの説が強いそうです。
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岡平健治の19のシングル曲やヒット曲
(1998年)
●あの青をこえて
(1999年)
●あの紙ヒコーキくもり空わって
●すべてへ
(2000年)
●『果てのない道』
●水・陸・そら、無限大
●背景ロマン
(2001年)
●足跡
●たいせつなひと
(2002年)
●蒲公英 -たんぽぽ-
「あの紙ヒコーキ くもり空わって」
→ロングヒット。
→NHK紅白歌合戦で初出場
「すべてへ」
→オリコンチャート1位。
「水・陸・そら、無限大」
→シドニーオリンピックの
日本代表選手団公式応援ソング
→NHK紅白歌合戦で初出場
ベストアルバム「19〜すべての人へ」
→収録曲が携帯電話着うた人気の上位に。
そのような感じで、あっという間に
19は大人気となりました。
岡平健治の19(ジューク)の解散理由
岡平健治さんと岩瀬敬吾さんの19(ジューク)ですが、実は、人気絶頂時2002年2月に解散してしまいます。
解散後は・・・・
岡平健治は「3B LAB.☆Sのメンバー」岩瀬敬吾は「ソロシンガー」としてそれぞれ活動を開始しました。
人気絶頂だっただけに、ファンはショックだした。
あまりにも早い解散だったため、ファンの中には、曲を聴いてファンになったのに気づいたら解散していてショックだったという人も多かったです。
解散理由は、「互いの音楽性を尊重するため」という理由です。
しかし、その後、岡平健治は「その解散は大人たちへの報復だった」と言っています。
さらに、「正直後悔している」とも話しているそうです。
どうやら、本当の解散の理由は「事務所とのトラブル」が関係しているようです。
あれだけのヒット曲がありながらも、給料制で月給が10万円くらいだったそうですね。
事務所からは、「芸能界は大変な世界。売り出すのにお金がかかる」と言われ納得していたんだとか。
さらに、326(みつる)さんの脱退も事務所が絡んでいるようです。
事務所が「事務所の方針で今後は岡平健治と岩瀬敬吾2人組のユニットにする」と言って脱退させたようです。
変な事務所が19歳の少年たちをだましていたの可能性が高いです。
今でいうと、清水 富美加さんのような感じだったのでしょうか。
彼女の場合は宗教という逃げる場所がありましたが、19のお二人は解散して、それぞれの道で一から頑張っていくしかなかったのでしょう。
大人たちの勝手な都合が嫌になり19を解散した理由であったのは間違いありません!!
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岡平健治の中居正広との関係
岡平健治さんは中居正広がMCを務める「うたばん」の歌番組に出場したことがあります。
実は、1999年春にTBSテレビのキャンペーンソングに19の1番目のシングル「あの紙ヒコーキ くもり空わって」が起用され、大ヒットに。
それがきっかけで、TBS系列『うたばん』の注目若手枠に出演。
中居正広さんの「うたばん」出演で岡平健治がいじられたことでさらにファンが増えたようです。
●お金がないときにお世話になった中華飯店からメッセージを貰う企画でVTRを見て号泣する場面。
●毎日石橋様と中居様のいる方角を拝む。収入の何割かを石橋様と中居様に振込む。という無茶な誓約書を書かされる場面。
誓約書はについては、なんと、19が解散するまでスタジオに飾られていたそうです。。。。
そんな感じで、あの「うたばん」があったからこそ、いじられたからこそ19の岡平健治さんは中居正広さんに感謝しているかもしれませんね。
岡平健治の今現在の年収がやばい
岡平健治さんは、給料制から歩合制に変えるとお金が5000万円ももらえたそうです。
しかし、19を解散。
稼いだ5000万円や22歳から始めた株などでお金を貯めて資金を外貨に換えて儲かったようです。
株で失敗や損もされたそうですが、設けて残った2億円で音楽事業、アパート経営、駐車場経営飲食店経営に投資したようです。
今ではそのお金で自社ビルを建ての実業家に変身していました。
自社ビル内に作ったライブハウスを併設したバーの経営などで年商は2億もあるのだとか。
もちろん音楽も続けているようで半年かけて一人で回っているそうです。
経営に関して雑費という経費がないくらい、きっちりとした経営をされているようです。
そのため、銀行からの信頼も厚く大きな融資を受けることができ、さらにきれいな経営管理をされているそうです。
きれいな経営
↓
信頼される。
↓
銀行から融資を受ける。
↓
さらに経営で儲ける。
↓
きれいな経営をする。
という良いサイクルで事業をされているのではないでしょうか。
そんな綺麗な経理をされている岡平健治さんですが、利益のほとんどは従業員への給料や音楽関連事業などに使っているようです。
使途不明なものはない、上手に経営されているので、本人にはあまり収入はないのかもしれませんね。
岡平健治さんはまだ独身のようです。