ハワイのホノルル国際空港が「ダニエルKイノウエ国際空港」と名称変更したそうです。
このハワイの空港の新しい名前はアメリカの上院議員として務めたダニエル・K・イノウエ氏にちなんでいるそうです。
そこで、
・ダニエルKイノウエの経歴や家族は?
・ハワイのダニエルKイノウエ国際空港とは?
・ダニエルKイノウエの評価が良すぎる
という内容でまとめてみました。
今後のハワイの空港の名前はホノルルではなく、ダニエルKイノウエ国際空港という名前です。
「Daniel K. Inouye International Airport 」です。
空港コード(HNL)に変更はないそうです
ハワイの「ダニエルKイノウエ国際空港」とは
ホノルル国際空港が2017年4月27日正式名称「ダニエル・K・イノウエ国際空港」に変更されました。
アメリカ連邦航空局(FAA)の認可を受けたもので、2012年12月に逝去したハワイ州選出のダニエル・ケン・イノウエ元上院仮議長を讃えたもののようです。
ダニエル・ケン・ダン・イノウエさんの大戦中の活躍を評価され、2000年には米最高位の名誉勲章を受章しています。
また、ホノルル国際空港整備のための連邦予算確保にも寄与しており、昨年、空港の改名が州議会で決議されました。
米政界の重鎮だったダニエル・ケン・ダン・イノウエさんの名前を空港の他に重要な建築物の候補が多数挙がっていました。
しかし、ある下院議員は「あのレベルの権威にふさわしいのは空港ということになった」と現地メディアに話しました。
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ダニエルKイノウエさんの評価
米大統領に一番近かった日系人。
敵国民から英雄に。
英雄から政治家に。
イノウエ議員のすごさは議員歴の長さや地位ではなく、そこまでの道のりや人とのかかわり方のようです。
井上議員はすべての日系人に対する尊厳と敬意を取り戻してくれた人です。
アメリカでは日系アメリカ人のパイオニアと呼ばれるダニエル・ケン・ダンイノウエさんはどのような経歴を歩まれてきたのでしょうか。
詳しくみていきましょう。
ダニエルKイノウエさんのプロフィール
名前:ダニエル・ケン・ダン・イノウエ
Daniel Ken Dan Inouye
日本名 : 井上 建(いのうえ けん)
生年月日:1924年9月7日
職 業 :弁護士、上院議員
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ダニエルKイノウエさんの経歴・生い立ち
ダニエルKイノウエさんが生まれる前、家が燃えてしまい、その借金を返済するために両親や祖父母が福岡県八女郡横山村から(現在の広川町・八女市です。)
ホノルルに出稼ぎに行っていたようです。
ダニエルKイノウエさんはホノルルで生まれました。
その後、ホノルルで育ったダニエルKイノウエさんは高校を経てハワイ大学マノア校に進学。
ハワイ大学に在学しているときに、アメリカが第二次世界大戦に参戦。
その後、日系アメリカ人として人種差別待遇を受けるものの、ダニエル・ケン・ダンイノウエさんはアメリカ人としての忠誠心を示すため自らアメリカ軍に志願しました。
そしてダニエル・ケン・ダンイノウエさんはアメリカ陸軍の日系人部隊である第442連隊戦闘団に配属され、ヨーロッパ前線で戦いました。
ドイツ国防軍との戦いで右腕を負傷し切断することに。
その結果、多くの勲章を授与されました。
右腕を失うことで医学の道を諦め、法科大学院に進み、弁護士になることを決意します。
ダニエルKイノウエさんの戦績
イタリアでダニエル・K・イノウエさんは少尉として任務についていました。
その時のダニエル・K・イノウエさんの英雄的な行動によって名を残すことになります。
それは、ダニエル・K・イノウエさんの部隊と敵との距離約36mという近さにある時ダニエル・K・イノウエさんは自身の安全を完全に顧みず、約4.5m以内の距離までの相手の陣地に近づき、手りゅう弾を投げて相手方を破壊した
そうです。
ただ、その際に相手からの弾丸も受け手りゅう弾も炸裂したために、右腕を失うことになります。
しかし、ダニエル・K・イノウエさんは激しい痛みがあるにもかかわらず、敵の抵抗がなくなるまで、ダニエル・K・イノウエさんは避難することを拒否してダニエル・K・イノウエさんの部隊を指揮し続けたそうです。
ダニエル・K・イノウエさんの勇敢かつ積極的な戦術と不屈のリーダーシップによって、ダニエル・K・イノウエさんの部隊は敵と激しい交戦をしながら前進し、敵の陣地を占領することになったのでした。
その結果、このダニエル・K・イノウエさんの戦闘中の行動は英雄的行為と任務への忠誠として世間に認められました。
また、このことによって、ダニエル・K・イノウエさん本人やその部隊、アメリカ陸軍への大きな信頼をもたらすものでありました。
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ダニエルKイノウエさんの議員時代
ダニエル・ケン・ダン・イノウエ氏は1959年にハワイ州から下院に当選しました。
その時は日系米国人初の連邦議員になったそうです。
そして、1962年から9期連続して上院議員に当選し、上院最古参で歳出委員まで務めあげたそうです。
上院仮議長を務めましたが、上院仮議長は実質名誉職ではあるものの大統領継承順位第3位の高位であり、アメリカの歴史上アジア系アメリカ人が得た地位としては最上位のものになります。
ダニエルKイノウエの家族
1996年にダニエル・K・イノウエさんは前妻と死別しています。
2008年1月に「全米日系人博物館」館長の アイリーン・ヒラノと再婚しました。
息子さんもいるようですが、おそらく前妻との子供でしょうか。
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ダニエルKイノウエの最期
ダニエル・K・イノウエさんは呼吸器合併症のため米首都ワシントン近郊の病院で亡くなったそうです。
88歳でした。
2010年にダニエル・K・イノウエさんは自身の功績を振り返って「ハワイ住民および米国民の代表として誠実に務め、できる限りのことを やってきた」と語っていたといいます。
最後に残した言葉は「アロハ」(さようなら)だったようです。
ダニエル・イノウエ上院議員の葬儀でオバマ元大統領弔辞です。