井川意高(いがわもとたか)さんはエリエールで有名な大王製紙の元会長です。
2011年に大好きなカジノで106億8千万円の借金を作り、その借金返済に関連子会社からお金を不正に借り入れ特別背任罪で逮捕された人です。
その井川意高さんが麻雀で優勝したそうですね。また子供が慶應幼稚舎に入学していることが話題になっています。
そこで、井川意高の今現在の暮らしは麻雀?妻と娘で慶應幼稚舎合格した理由についてまとめました。
実は、AbemaTVで坊主麻雀の第三弾が放送されています。ホリエモンが第二弾に続いて最下位になって丸坊主になっていますね。
もともと髪が短めなので、坊主にしてもあまり違和感がない気がしますが。。。
そして、この時に優勝したのが井川意高さんです。あの大王製紙の元会長です!
坊主麻雀第三弾 井川意高氏が優勝500万獲得“ホリエモン”堀江貴文氏またも丸刈り…#ホリエモン #堀江貴文 #井川意高 #麻雀 #坊主麻雀 @takapon_jp #AbemaTV https://t.co/fiZ5lwGsoQ
— AbemaTIMES (@AbemaTimes) 2017年5月1日
井川意高のプロフィール
名前:井川意高(いがわもとたか)
生年月日:1964年7月28日
年齢:57歳(2021年7月時点)
高校:筑波大学附属駒場中学校・高等学校
学歴:東京大学法学部卒
職業:元実業家
(大王製紙の前会長)
井川意高さんは、2代目の井川高雄の長男として生まれました。2つ下には弟の井川高博さんがいます。
井川意高さんは、小学校まで愛媛県で、中学校から東京で過ごしています。小さい時からスパルタ教育と帝王学を叩き込まれて育ったそうです。
そうして筑波大学附属駒場中学校・高等学校から東京大学法学部に進学。
1987年に大学卒業するとエリエールで有名な大王製紙に入社。
20代の時に赤字の子会社を立て直した実績を持っています。
それから三島工場次長、常務取締役、専務取締役、副社長を歴任し、2007年42歳で第6代大王製紙取締役社長に就任。
そして、会長時代に、カジノのギャンブルで背負った巨額の借金返済のために子会社から総額106億8000万円もの資金を借り入れます。
しかし、2011年11月、会社法違反(特別背任)の容疑で逮捕されました。
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井川意高の「熔ける」の意味やほしのあきとの関係は
2013年に井川意高さんは、熔(と)ける大王製紙前会長井川意高の懺悔録というタイトルで双葉社から本を出版していました。
それで、ネットで「熔ける」が検索されたようです。
熔ける [ 井川意高 ]
また、井川意高さんはの私生活は芸能人や政界との人的交遊が有名だったそうです。
多くの芸能人、政治家、マスコミ関係者に接待しまくっていたようですね。
芸能界の裏話も知り尽くしていたのではないでしょうか。
「熔(と)ける」という本には交遊のあった芸能人や著名人が50名くらい実名で書かれていたそうです。
これはコワイ((+_+))
芸能人は何を書かれるのか恐れていたでしょうね。
特に何かある人はw
井川意高さんと交流の深かった有名芸能人は・・・・
ほしのあき
→月1~2回は食事する間柄
宮沢りえ
→夜の街で接点を持った
藤原紀香
→単なる昔からの古い友人
熊田曜子
→1回しか会ったことがない
櫻井淳子
→2~3回飲みの席で一緒だった程度
瀧川クリステル
→会ったことすらない
AKB48の2人(すでに卒業
→西麻布のバーで遭遇
海老蔵
→夜の街で接点を持った
国会議員の方もいたそうです。
それで、当時噂のあった藤原紀香さんやほしのあきさんとの関係についても書かれたようで、ネットでほしのあきと検索されたようです。
井川意高さんは交遊の深い芸能人とは旅行にも行ってプールも一緒に入っていたそうですね。
芸能人並みに、それ以上に?お金を持っていますね!
井川意高の大王製紙事件とは?
大王製紙とはあのエリエールで有名な会社ですよね。
井川意高さんは大王製紙の取締役だった頃の2010年~2011年の間に子会社から106億8000万円のお金をカジノ使用目的のために流用してしまいます。
特別背任という会社法違反の容疑で地検特捜部に逮捕されてしまいました。
懲役4年の実刑判決で収監。
2016年12月に仮釈放されました。
その出所の翌日はなんと、カジノ法案成立だったそうですね。
日本政府も、よその国で106億円も落とすなら、日本で落としてよって感じなのではないでしょうか。
ちなみに井川意高さんは日本のカジノには反対ではないそうですね。
今はまだカジノに行く気はないようですが、取り戻すという意味で106億円をあちらに預けているとテレビで言っていました。
どこまで本気で言っているのかわかりませんが、「反省している」けどテレビ的に面白く言ったのかもしれません。
「大王製紙社長に就任するまでの私は決して毎週のようにカジノへ通っていたわけではない。ゴールデンウィークや夏休み、正月休みや週末の連休を利用して、親しい人間数人と出かけていた程度だ。
年間2~3回、多くてもせいぜい年に5~6回程度の頻度だったと思う。2007年6月に大王製紙の社長に就任して2年が経ったあたりからだ。カジノへの熱の入れ方は急激にエスカレートしていった。
勝ち続けて目の前のチップが増えると次第に感覚が麻痺してくる。1回のゲームで100万円単位を賭けるのが当たり前になり、さらにはマックスベット(1ゲームあたりの賭け金の上限)を張って、1ゲームに1000万円以上ものチップをつぎこむようになった。
2008年になるとカジノに通う頻度が上がり、多少負けが込んできたものの、実は2009年秋の段階で赤字分を一度すべて取り返している。そこでバカラをやめておけば良かったものの、さらにカジノ通いはエスカレートしていった。
2010年になると資金繰りに行き詰まり、グループ企業の子会社からカネを借り入れることを思いついた。」
本からの引用
ここから大王製紙事件の始まりです。
簡単に言うと、遊び感覚でやっていたものが、だんだんと抜けられなくなっていったということでしょうね。
2011年9月7日、「大王製紙の連結子会社7社から資金を借り入れ続けていた事実が、社内メールの告発によって発覚してしまったのだ」
本からの引用
どうやら、この一件で創業者である井川家は大王製紙から排除されてしまったそうです。
まず、井川意高の父親・高雄さんです。
大王製紙最高顧問として経営に影響を与えていたそうですが、かつてのような発言権はないそうです。
現在、創業家系の井川家で唯一、個人筆頭株主として関わりがあるようですね。
そして、大王製紙の取締役を務めていた井川意高の弟・高博さんは辞任を拒んだものの、株主総会前日に大王製紙を去っています。
なんでも、井川意高の弟・高博さんは創業家の取締役だったにも関わらず退職金もなかったそうです。
まじか~((+_+))
この件に関して井川意高さんは弟・高博さんの口から恨みごとを一切言われたことはないそうですが、はらわたが煮えくり返っているでしょうね。
井川意高さんの弟・高博さんにも家庭があったと思います。
腹をくくったのでしょうね。
こうして、祖父・伊勢吉の代から築いてきた井川家3代の歴史はなくなったそうです。
悪いことをすれば、最後にはバレちゃいます。
このように簡単に大王製紙事件についてみてきましたが、今現在、井川意高さんはどのような暮らしをしているのでしょうか。
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井川意高の今現在の暮らし
2012年井川家は大王製紙やその関連会社のすべての株式を北越紀州製紙に売却しているそうです。
株式売却の合意のおかげで、井川意高さんは一審判決を前にすべての借金を返済することができたそうですね。
それもすごい(-_-;)
井川意高さんの借金はこの時点でようやく全部返済されているようです。
つまり、現在負債はないことになりますね。
また、おそらく他の株式などの資産をもっているでしょうから、現在の暮らしはそんなにきつくはないのでは。
さらに、井川意高さんは、今回の坊主麻雀での賞金500万円を夜の港区の活性化に使いたいと発言していることから、現在は決してきつくはない生活をしていると思われます。
そんな井川意高さんの今現在は、テレビ出演したり、Abema出演したり、執筆活動されています。
東大から刑務所へ (幻冬舎新書) [ 著・堀江貴文/著・井川意高 ]
東大と刑務所の共通点がある二人は本当に極端な経験をされていますね。
刑務所でも居心地のいいところと悪いところがあるようです。
そんな井川意高さんは元実業家ですがテレビ出演を機にタレントもあるかもしれませんね。
ところで、家族はいるのでしょうか。
井川意高の家族や子供が慶応幼稚舎合格した理由
井川意高さんにも家庭がありました。
井川意高さんには妻の陽子さんと息子と娘の子供さんがいたようです。
逮捕の件で離婚まで至っていないようですが、今は一緒に暮らしているのではないでしょうか。
息子さんは当時高校1年生。
そして娘さんはなんと、慶応幼稚舎に合格して入学していたらしいです。
しかしどうやって慶應に行けたのでしょうか?
①受験には妻の陽子さんと子供で乗り切った?
②受験の際に慶應に相当額の寄付をした?
③井川意高の逮捕前に幼稚舎には合格していた?
これらが考えられますが、おそらく②③ではないかと。
でも普通に考えて・・・やっぱり③でしょうか。
現在、井川意高さんはメディアの露出が増え、多方面で活躍されています。
今後のさらなる活躍を楽しみにしています。