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森重潤也監督(東福岡高校)の評判や挫折!名門を復活させた指導とは

※記事内に商品プロモーションを含む場合があります

森重潤也(もりしげじゅんや)監督は、福岡県の東福岡高校サッカー部監督です。

高校サッカー名門だった東福岡高校を全国優勝に復活させた監督でもあります。

そこで、森重潤也監督(東福岡高校)の評判や挫折!名門を復活させた指導とはについてご紹介します。

選手権では強豪校として有名な東福岡高校のサッカー部を復活させた指導方法も気になりますね。

森重潤也監督はいったいどのような人柄なのでしょうか。
 

 

森重潤也監督のプロフィール

引用元:https://www.soccer-king.jp/news/youthstudent/20160111/390244.html

 
名 前:森重潤也
   (もりしげじゅんや)

生年月日:1965年11月24日

出身地:神奈川県

身 長:170cm
体 重:63kg

出身高校:横須賀学院高校

出身大学:玉川大学

職 業:高校サッカー部監督
    元サッカー選手

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森重潤也監督の経歴

森重潤也(もりしげじゅんや)監督は、1965年生まれ。今年で53歳、神奈川県出身です。

横須賀学院高校に進学するも高校サッカーという道を選ばず、全日空横浜ユース(横浜フリューゲルスの前身)というクラブチームに所属します。

玉川大学卒業後は、アビスパ福岡の前身の福岡ブルックスでキャプテンを務め、現役後もブルックスで指導にあたっていました。

そして、森重潤也監督は、1998年に外部コーチとして東福岡高校サッカー部に携わり、2002年には監督に就任。

そして、現在に至ります。

プロサッカーと高校サッカーは違いますが、生徒からすれば、「憧れのサッカー選手」だった人から大好きなサッカーが教えてもらえるので、嬉しすぎますよね。

そんな、森重潤也監督の教え子って誰なのでしょうか?

高校サッカーの強豪校ともなれば、森重潤也監督の教え子にはプロサッカー選手も多いはず。

早速、調べてみました!

森重潤也監督の教え子

引用元:https://www.soccerdigestweb.com/news/detail2/id=37534

 
森重潤也監督にはいったいどんな教え子がいるのでしょうか。

気になったので調べてみましたよ!

森重潤也監督の教え子には、私が大好きな長友佑都選手を始め、ざっと調べても10人以上のプロサッカー選手がいました。

ちなみに、上の画像には高校時代の長友選手がいます!
 
長友 佑都選手
棚橋 雄介選手
井手口 正昭選手
坂井 達弥選手
篠原 弘次郎選手
松田 天馬選手
木戸 皓貴選手
増山 朝陽選手
小田 逸稀選手
藤川 虎太朗選手
高江 麗央選手
福田 湧矢選手
などなど
 
さすが、東福岡高校の監督ですよね!

これだけプロのサッカー選手を輩出しているので、森重潤也監督がどれだけ名監督なのかがわかりますね。

ただ、森重潤也監督率いる東福岡高校のサッカーの練習は、やっぱりキツイ!

メンタルが強くてタフな長友佑都選手でも高校時代の練習は過酷だったと言っています。

しかし、逆にそこまでしないと全国のトップに昇りつめるのは相当厳しいということですよね。

今度は、森重潤也監督の高校サッカーの実績が気になったので調べてみました!

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森重潤也監督の東福岡高校での実績

森重潤也監督の実績を調べてみました。

・全国高校サッカー選手権優勝1回(2015年)

・インターハイ優勝2回(2014年、2015年)

なんと全国優勝3回も経験されています。

やはり名監督と言われるだけありますよね。

しかし、そんな森重潤也監督も過去には挫折を経験しています。

森重潤也監督の勝てないという挫折と理由


 
どんな人でも、一度はくじけたり、失敗したことってありますよね。

森重潤也監督も過去には「勝てない」という挫折を経験しています。

その理由の一つは、「チーム作り」にありました。

森重潤也監督は、今でこそ名監督ですが、自身が外部コーチから監督に就任しても、すぐすぐ「全国制覇」できたわけではありません。

監督になって全国制覇するのに17年の歳月がかかりました。
 
実は、東福岡高校には、今でも破られることのない「史上初の三冠達成」という記録を1997年に残しています。

(加えて、公式戦では、「52試合無敗」という記録も持っています。)

<東福岡高校 三冠達成記録>

・インターハイ優勝(1997年)
・高円宮杯全日本ユース優勝(1997年)
・第76回全国高校選手権大会優勝(1997年)

1997年当時は、東福岡高校が無敵を誇る黄金時代。高校サッカー強豪校として仲間入りをした時でした。

ちょうどその頃、森重潤也監督は1998年に外部コーチに監督に就任。

コーチに就任当時、森重潤也監督は「自分の経験と東福岡高校のパワーがあれば、このまま勝ち続けることはそう難しいことではないだろうと思っていた」と思っていたようです。
 
しかし、現実はそう甘くはありません。

2002年監督になった森重潤也監督には「東福岡高校の伝統と輝かしい実績」が自身の大きな壁として立ちはだかり、「勝てない」という挫折の苦悩の日々が続きました。
 

そんな森重潤也監督の挫折の理由の1つをあげるなら、それは単に選手のプレーに対して「指導」や「評価」はするサッカー指導者であったことです。

高校サッカー指導者には選手の「指導」や「評価」だけではなく、「教育」も必要だったのでした。

なぜなら、生徒一人ひとりと向き合い、「なぜ?」「どうして?」を一緒に探し、サッカーを通して人間性を養成していかなくてはならないからです。
 

実は、森重監督自身は、あらゆるポジションをこなす柔軟性のあるマルチプレーヤーであり、高校生の時からずっとクラブチームに籍を置く優秀な人物でした。

そして、プロでも活躍。

現役引退後も指導者としてサッカーに携わってきた人物です。無理もありません・・・。
 
そんな森重純也監督は、その後「教育」にも力を入れ、生徒に寄り添い「チーム作りの強化」をします。

そうして森重純也監督は、東福岡高校の過去の栄光にも向き合いながら、17年の歳月を得て東福岡は復活。

新しい時代に突入していきました。

名監督にもそれなりの苦悩があり、それを乗り越えたからこそ今があるんですよね。

 

 

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名門東福岡が復活した森重潤也監督のサッカー部の指導方法


 

そんな森重潤也監督には、東福岡高校が高校サッカーの強豪校として復活するために強化した指導方法があります。

今回いくつかご紹介しますね。

 

名門東福岡が復活した森重潤也監督の指導内容:①凡事徹底すること。

森重潤也監督は、東福岡高校サッカーの復活ために指導方法として、ランニングなどの基礎練習を増やし、サッカーの練習には「凡事徹底(ぼんじてってい)」を目指しました。
 
(※凡事徹底:なんでもないような当たり前のことを、人には真似できないほど一生懸命やること。)
 
なぜなら、森重監督が目指す「全員で攻め、全員で守る」の基本となるものだからです。
 
つまり、サッカーでは「走る、止める、蹴る、見る、声を掛ける・・・」などのどんな簡単な動きも、全員が手を抜かずに徹底することがゲームを展開していく上で大事だということですね。
 
実は、森重監督には小学生で始めたサッカーの練習を一度も休まず参加したというエピソードがあります。
 
森重監督の「基礎を大事にする」というのは、この少年時代にしっかり根付いたもののようですね。

 

名門東福岡が復活した森重潤也監督の指導内容:②走力をあげること。

森重潤也監督は、東福岡高校サッカーの復活ために指導方法として、「走力をあげること」を目指しました。
 
東福岡高校の持ち味は、「赤い彗星」と呼ばれるほど「攻守をすばやく切り替える早い展開」です。
 
特に「スタミナ」も「速さ」もどちらも要求されるため、方針を変えてテクニックよりもとにかく泥臭く走るフィジカル面を重視してトレーニングを行ったのでした。
 
それも、走力をあげるために、普段のトレーニングでも目標タイムを決め、そのタイムをクリアできない選手はレギュラーからはずすほど徹底していたのです。
 
その目標タイムも、280人以上いるサッカー部員の半分もクリアできないほど高い水準だったそうですよ。
 
このように、レギュラーを勝ち取るためには、どれだけ過酷な練習をしていたのかがよくわかりますね。

 

名門東福岡が復活した森重潤也監督の指導内容:③ヒガシの4-1-4-1を守ること。

森重潤也監督は、東福岡高校サッカーの復活ために指導方法として、志波芳則総監督(森重監督が外部コーチだった当時の監督)が築いた、システム4-1-4-1というフォーメーションを守り続けて練習を行ってきました。
 
「システム4-1-4-1」とは、68m幅を最大限に使うスタイルです。サイドの幅を有効的に広く使うことで相手が揺さぶられて、隙間が出来る、そこを一気に攻め込むのです。
 
このシステムには森重潤也監督も信念をもって、とてもこだわってきました。
 
しかし、このシステムを完成させるには、そのポジションをこなせる選手が必要です。
 
なので、大勢の部員の中からその個性を見出し、育てて磨いていく練習を行ってきたのでした。

 

 

東福岡高校の優勝や胴上げから見た森重潤也監督の評判や人柄

 
森重潤也監督は、自身の挫折を乗り越え、チーム作りを強化していった結果、東福岡高校は、2014年にインターハイを制覇しました。

これは、1997年から17年ぶりのインターハイ優勝だったのです。

17年ですよ?

長いですよね。
 
そして、2015年もインターハイで優勝し、連覇を果たしました。

実はこの時、優勝したのに森重潤也監督は、選手たちからの胴上げを拒んだんです。
 
理由は、「胴上げは選手権に勝ってから…。選手を信じているので、選手権で優勝旗を手にしてから・・・」というものでした。

そうして、2015年選手権で優勝!

大きく空に舞った森重潤也監督の胴上げは誰もが待ち望んだものとなりました。
 
このように、森重潤也監督はさすがプロで活躍されていただけあって、反骨精神が強く、こだわりも強い方だなと思いました。

それは、実際に選手権での胴上げにも現れていますよね。

そして、教育は時間がかかるものですが、17年も辛抱強く選手を信じて優勝をあきらめないところにも現れていますよね。

森重潤也監督は、きっと誰よりも全国優勝という名門東福岡の復活と選手を愛してやまない情熱の深い人だと思います!

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森重潤也監督のまとめ

誰でも失敗や挫折はあるものですが、東福岡高校の過去の栄光は逆にプレッシャーとなって森重潤也監督を苦しめました。

しかし、そこで終わらず、苦境を乗り越えていくのが森重潤也監督ですよね。

私ならとっくに不安とプレッシャーに押しつぶされています!

そんな森重潤也監督率いる東福岡高校サッカー部。

今年も赤い彗星が走り抜けるピッチにはどのような感動が待っているのでしょうか。

森重潤也監督がベンチからどんな声をかけるのかも注目してみたいと思います。

森重潤也監督と選手らの活躍が楽しみですね。

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