戦国時代から安土桃山時代を生き抜いた武将、豊臣秀吉。
下層民から代出世をしたことや「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス」で有名な人物です。
今回は、豊臣秀吉の名言について意味や学べることを解説いたします。
豊臣秀吉の名言1「敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ」
「敵の逃げ道を作っておいてから攻めよ」
逃げ道を塞ぐと敵は降参しないばかりか、猛烈に反撃をしてくるから攻める前に1つだけ逃げ道を作っておけという意味が込められています。
織田信長の仇を討つために、明智軍と戦った際に豊臣秀吉が実際にこの名言通りの戦略を使っています。
四方から明智軍を包囲して追い詰めた後に、包囲の一部を解除します。
すると、どうしようもない明智軍はそこへ逃げ込むわけです。
あっという間に明智軍は消滅して結果的な降参ということになりました。
相手を徹底的に叩き潰してしまうと、恨まれていつか復讐されます。
相手に逃げ道を作ってあげることは自分のためにもなることが学べます。
要領の良い豊臣秀吉らしい名言ですね。
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豊臣秀吉の名言2「負けると思えば負ける。勝つと思えば勝つ」
「負けると思えば負ける。勝つと思えば勝つ」
この名言には「逆になろうと、人には勝つと言い聞かすべし」という言葉が続きます。
負けると思えば必ず負けるし、勝つと思っていれば必ず勝てる。
負けそうな状況でも部下たちには勝つと言い聞かせましょうという意味の名言です。
上に立つ人は、どんな状況でも弱音を吐いてはいけないことを教えられます。
自分の上司が弱音を吐いていると不安になり、誰もついてこなくなってしまいますよね。
また、格上の相手に勝利するためには端から諦めてしまうのではなく、絶対に勝つと自分に言い聞かせることが大切だと学ばせてくれます。
豊臣秀吉の名言3「人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない」
「人の意見を聞いてから出る知恵は、本当の知恵ではない」
人の意見を聞いてから、まるで自分が思いついたかのように自分の手柄にしてしまう人っていますよね。
そういった人を諫めている言葉です。
人から出た知恵は自分のものではなく、誰も思いつかない考えこそが本当の知恵であるという意味を込めています。
そうは言っても、新しいアイディアや考えを出すってなかなか難しいことです。
しかし、認められたければ人から盗んだものでなくオリジナリティのある知恵を出していかなければなりません。
機転が利き、様々な戦略を考えついていた豊臣秀吉だからこそ言えた名言です。
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豊臣秀吉の名言4「障子を開けてみよ。外は広いぞ」
「障子を開けてみよ。外は広いぞ」
障子を開けて見える世界は、自分が思っているよりも広いという意味が含まれています。
これは、豊臣秀吉が思い悩んでいた部下に助言として放った言葉です。
簡単に言えば、視野を広げてみましょうということですね。
小さい世界で思い悩むのではなく、外の広い世界を見ることで思いがけない発見が転がっているものだと教えてくれています。
1度自分の殻を破って飛び出してみろという背中押される名言です。
今、悩みや迷いがある方はこの名言を心に置いておいてみましょう。
きっと勇気が出てくるに違いありません。
豊臣秀吉の名言5「いつも前に出ることが良い。そして戦の時でも先駆けるのだ」
「いつも前に出ることが良い。そして戦の時でも先駆けるのだ」
どんな時でも前に出て、戦の時でも先頭に立つという意味の名言です。
どんな状況下にいてもそれをアピールの場と捉え、チャンスを逃してはならないことをこの名言で教えています。
常にチャンスを無駄にせず、堂々と自分をアピールし続けて当時では考えられない出世街道を走り抜けた豊臣秀吉の生きざまが垣間見える言葉ですね。
社会生活でも非常に役立つ名言ではないでしょうか?
自分をアピール出来るタイミングって無限にありますよね。
そのチャンスを活かしてこそ、認められるし出世もできるということが名言から学ぶことができます。
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豊臣秀吉の名言6「金を貯め込むのは良き士を牢に押し込むに等しい」
「金を貯め込むのは良き士を牢に押し込むに等しい」
財産を使わずに貯め込むことは、良い人材を閉じ込めて使っていないことに等しいという意味で、豊臣秀吉が信念として持っていた言葉の1つです。
お金は貯めておいても心の余裕にしかなりませんが、使えば欲しいものなどが手に入りますよね。
お金は使ってこそ価値が出るということです。
また、それは優秀な人材も同じことで、いくら優秀な人を集めても使わなければ意味がありません。
自分の意見に反対されることを恐れて優秀な人を閉じ込めていては価値はないです。
変なプライドを持たず、使えるものは使っていきましょうということを教えてくれています。
豊臣秀吉の名言7「世が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う」
「世が安らかになるのであれば、わしはいくらでも金を使う」
前の「金を貯め込むのは良き士を牢に押し込むに等しい」という名言と少し繋がりのある名言です。
豊臣秀吉は、自分の信念をしっかり貫いていたのでしょう。
しかし、平和はお金では買えませんよね。
そのこともちゃんと理解していたからこその名言です。
戦国時代という戦が絶えない時代に生きていたからこそ平和を常に願っていたのかもしれません。
お金で解決できるならそうしたいけれど、どうにもならないという体験が誰しもあるのではないでしょうか。
そういう時は徹底的に戦うしか方法はないということを教えてくれています。
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豊臣秀吉の名言8「夢は大きいほど良いと言うが、わしはすぐ手の届くことを言っている」
「夢は大きいほど良いと言うが、わしはすぐ手の届くことを言っている」
小さい夢でも、確実に叶え続けてきた豊臣秀吉ならではの名言です。
夢は大きい方が良いと周りは言うけれど、自分は少し頑張れば叶えられる夢を大事にしているという意味を込めています。
大きな夢を持つことも良いですが、自分の力量に合わず夢のままで終わっては意味がありません。
確実に叶えられる夢を積み重ねていけば、結果的に大きな夢を叶えることに近づいていけます。
身の丈に合った夢を持って、1歩ずつ着実に進むことが大切だとこの名言と豊臣秀吉の人生をもって学ばせてくれます。
豊臣秀吉の名言9「このように年を追うごとに財宝が集まるのを、施さないと欲深くて、倒産の憂き目に遭うかもしれない」
「このように年を追うごとに財宝が集まるのを、施さないと欲深くて、倒産の憂き目に遭うかもしれない」
お金を使うことで世の中が活性化して良い世の中になり、なおかつ自分もこの社会に上手く残ることができるという意味の名言です。
この名言の背景には、豊臣秀吉が諸大名に行った「金くばり」という政策にあります。
豊臣秀吉は諸大名に対して金6000枚(現在の価値で26億円)を配ったのです。
かなりの大盤振る舞いですよね。
そうすることによって世の中の経済も潤いますので、豊臣秀吉はお金は使うと言っても、正しいお金の使い方をしています。
ケチは身を滅ぼしてしまうことを理解して恐れていた豊臣秀吉らしい名言と政策です。
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豊臣秀吉の名言10「汝の身の上においていささか心元なき事恃、この上は人質に取り、急ぎ退き候へ」
「汝の身の上においていささか心元なき事恃、この上は人質に取り、急ぎ退き候へ」
豊臣秀吉が味方につけていた大沢次郎左衛門を織田信長の命令により殺害しなければならなかった時がありました。
織田信長の命令とはいえ、味方を殺したくなかった豊臣秀吉は大沢次郎左衛門にこの名言を放っています。
意味合いとしては、身の上(大沢次郎左衛門)にいささか不安な出来事(信長に殺害されること)が起こるから、この上では私(豊臣秀吉)を人質にしてその隙に逃げろということです。
自分が人質に捕られたことを口実にすれば味方である大沢が逃げられると思い考えた策です。
自分が仕える上司に背くことになっても、味方であり同じ時代に生きる大沢を助けたのですね。
このことが噂になり、豊臣秀吉の領主からの評判がうなぎ上りに上がりました。
いかにして人を味方につけていくかというお手本のような名言と出来事です。
豊臣秀吉の名言11「いくら謙信や信玄でが名称でもわしには敵わない。彼らは早く死んで良かったのだ」
「いくら謙信や信玄でが名称でもわしには敵わない。彼らは早く死んで良かったのだ」
この名言の続きには「生きていれば、必ず俺の部下になっていただろう」とあります。
武田信玄や上杉謙信といえば、織田信長も恐れながら認めていた戦に強い武将で有名です。
豊臣秀吉はこの名言で、戦は自分が強いと言いたかったわけではなく、どんなに戦に強い相手でも従える方法があるということを語っています。
確かに、武田信玄や上杉謙信は武将でありながら貧しい国に住んでいました。
金と権力を持っていた豊臣秀吉には、戦をするまでもなく部下となり従うことになっていたでしょう。
つまり、この名言からは戦をすることが全てでないことを学べます。
どうすれば戦わずにして勝てるかを考えることも、成り上がるためには必要な戦略になるのでしょう。
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豊臣秀吉の名言12「猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これもまた皆が嫌がるところでの我慢があったればこそ」
「猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これもまた皆が嫌がるところでの我慢があったればこそ」
こちらの名言は、豊臣秀吉が天下を統一した後に自分の人生を振り返って放った名言です。
豊臣秀吉は出世をするたびに名前を変えています。
最初と最後は名前ではないですが、周りに呼ばれていた名前を振り返ることで自分が出世してきたことを噛みしめつつ思い返しました。
このように出世できたのも、皆が嫌がることも自分は我慢してやってきたからだということをこの名言に込めています。
農民上がりの豊臣秀吉には、当然扱いが良くされなかったこともあり、結果を出しても因縁をつけられたりなど我慢の繰り返しでのし上がってきたのでしょう。
時には我慢強く耐えながらもやり続けていくことの必要性を教えてくれる名言です。
豊臣秀吉の名言13「信長公は勇将なり、良将にあらず」
「信長公は勇将なり、良将にあらず」
明智光秀の復讐により討たれた織田信長を哀れんだ言葉です。
織田信長は戦は強かったですが、比叡山を焼き払って死者を多く出したり伊勢長島で2万人を虐殺したりなど、皆に恐れられていました。
強いからと言って良い武将とは限らないし、恐怖政治は長くは続かないという意味合いの名言です。
優れた武将とは、皆に慕われる者のことだという意味も込めています。
現代でもそうですが、武力などの恐怖で支配し続けることは難しいですよね。
いつか必ず反乱が起きてしまいます。
そうならないためにも、慕われている者が上に立つべきことを学べます。
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豊臣秀吉の名言14「人はたださし出づるこそよかりけれ 軍(いくさ)の時も先駆けをして」
「人はたださし出づるこそよかりけれ 軍(いくさ)の時も先駆けをして」
異例の出世を遂げていく豊臣秀吉は同じ織田信長の配下にいる者から妬まれていました。
何事にもしゃしゃり出ることが特に不満を持たれていて、豊臣秀吉を妬んでいた1人が「人は皆さし出ぬこそよかりけれ 軍の時は先駆けをして」と皮肉を込めて詠んだことがあります。
この名言はその歌への返歌です。
豊臣秀吉が返した歌の意味は、人はいつだって前に出た方が良いし、もちろん戦の時も先駆けるものだということです。
出世のためのアピールを欠かさなかった豊臣秀吉らしい名言です。
これくらいの図々しさが、現代に生きる私たちにも必要かもしれません。
豊臣秀吉の名言15「降参した者は、それ以上責めてはいけない」
「降参した者は、それ以上責めてはいけない」
シンプルですが、とても核心をついている名言です。
意味はそのままで、降参した者をそれ以上責めるなということです。
ただでさえ降参して相手に負けているところを必要以上に責められると、ストレスを感じますよね。
戦国時代ではそういった感情が、簡単に戦に繋がってしまいます。
それを避けるためにも、降参した相手をそれ以上責める必要もないと語っています。
戦場において無駄に死人を出してこなかった豊臣秀吉の心の広さが分かる名言ですね。
この言葉を胸に留め、誰かと戦って自分が勝利したら相手のことをしっかり認めてあげると良いでしょう。
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豊臣秀吉の名言16「主人は無理を言うなる者と知れ」
「主人は無理を言うなる者と知れ」
豊臣秀吉の家臣が弱音を吐いた時に、助言として語った言葉です。
ここで言う無理とは、今までの理屈に無かったことや今までのやり方と違うことを指しています。
豊臣秀吉は器量が良いことから誰しもが思いつかなったことを実行することが多々ありました。
それを無理だと言った家臣への厳しい言葉ですね。
また、それが嫌ならあなたが主人になればいいという意味を込めているという説もあります。
器の大きい優しい豊臣秀吉にしては少しきつい言葉のように感じますが、飴と鞭をうまく使い分けていたのですね。
豊臣秀吉の名言17「何事もつくづく思いだすものではない」
「何事もつくづく思いだすものではない」
豊臣秀吉が自分自身へ言い聞かせていた言葉で、辛い思い出などをいちいち思い出していてはキリがないといった意味があります。
豊臣秀吉はもともとは百姓の中でも低い身分の生まれでした。
その頃の苦しい思い出もあるでしょうし、出世してからも周りに妬まれたり嫌な思い出も多かったのではないかと思います。
しかし、それをいちいち思い出して気にしていたら前に進めなくなりますよね。
全ての過去は今の自分を作るための試練だったと前向きに捉えながら、昔の辛いことは思い出さなくていいということを教えてくれています。
何があっても挫けなかった豊臣秀吉だから言えた言葉です。
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豊臣秀吉の名言18「一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる」
「一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる」
「夢は大きいほど良いと言うが、わしはすぐ手の届くことを言っている」といった夢に関する名言に通ずるものがある名言です。
一歩一歩積み重ねていくという努力をしていれば、自分が予想もしていなかった結果を得ることができという意味が込められています。
この名言は、社会人として生きている方に響くものがあるのではないでしょうか。
出世のためにと急ぎ回るのではなく、1つずつこなして確実にチャンスを積み重ねていくことの重要さを豊臣秀吉は語っています。
日々の努力というものは、小さなものが多いですよね。
ですが、塵も積もれば山になるということわざがあるようにいつかは大きな結果として自分に返ってきます。
この名言は、キャリアアップにおいて非常に的を射ている言葉ですよね。
豊臣秀吉の名言19「この黄金の輝きも、茶の一服に勝るものかな」
「この黄金の輝きも、茶の一服に勝るものかな」
天下を統一し、名声や富、権力などを全て手に入れていてもお茶を飲むという一服の幸せには敵わないという意味合いの名言です。
お金も権力も持っていた豊臣秀吉が傲慢にならなかった秘訣が、この名言に隠されていますね。
日々の生活の中の小さな幸せは、心を満たしてくれますよね。
仕事終わりの一杯であったり、昼寝であったり。
そういったものを大切にして人生を豊かにしていきたいものです。
小さな幸せというのは、財産などが満たされれば満たされるほどないがしろにされがちですが、小さな幸せを楽しめないほど強欲になるのは身を滅ぼしてしまうことになるので注意が必要です。
意識しながら、自分の小さな幸せを探してみましょう。
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豊臣秀吉の名言20「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪花の事は夢のまた夢」
「露と落ち露と消えにし我が身かな 浪花の事は夢のまた夢」
自分の死期を悟った豊臣秀吉が最期に残した辞世の句です。
露のようにこの世に生まれ落ちて、露のように儚かったという意味を込めています。
浪花とは大阪城のことを指しており、大阪城で過ごした栄華の日々は夢の中の夢のようだったと語っています。
慎ましくも激しく生きていた豊臣秀吉ですが、激動の人生を露のように儚いと表現するところが粋な人ですよね。
もしかしたら豊臣秀吉は、豊臣家の天下が長くは続かないことも悟っていたのかもしれません。
どこまでも賢く器用だった豊臣秀吉らしい最期の言葉です。
まとめ
明智光秀を討ち取り、天下統一を果たした豊臣秀吉の名言を紹介してきました。
豊臣秀吉の人柄が分かる名言がたくさんありましたね。
社会でうまく出世していくためのアドバイスになるような名言も多かったのではないかと思います。
豊臣秀吉のように、自分に自信を持って強気で生きていくことは日本人にとっては特に必要な要素です。
豊臣秀吉のように世渡り上手になると、もっと人生が楽しくなるかもしれませんね。