戦国時代を生き、越後国の大名として有名な上杉謙信。
内乱続きであった越後国を統一し、産業を復興させて繁栄させたことで有名ですね。
他国から救援があると出兵していくようなような、私利私欲のためでなく誰にでも力を貸し、義のために戦っていた武将です。
49歳で逝去したという短い人生の中で、上杉謙信は多くの名言を残しています。
その名言の意味や学べることを見ていきましょう。
上杉謙信の名言1「生を必するものは死し、死を必するものは生く」
「生を必するものは死し、死を必するものは生く」
行きたいと思って戦場に向かう者は死に、死ぬ覚悟を決めて戦場に向かう者は生きるという意味の名言です。
戦国時代には覚悟というものが欠かせません。
覚悟を決めることで、感覚が研ぎ澄まされて良い動きができるものです。
上杉謙信は戦に出兵する度に、死ぬ覚悟を決めていました。
生きたいと思っていると逃げ腰になり命取りになると考えていたようです。
死ぬ覚悟を決めることで、上杉謙信は戦で勝ち続けました。
実際に、上杉謙信は多くの戦の中で敵軍に敗れたことはたったの2回しかありません。
何事も覚悟を決めて取り掛かれば、良い結果が出るということを教えてくれています。
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上杉謙信の名言2「我を毘沙門天と思え」
「我を毘沙門天と思え」
毘沙門天は、仏教において四方を守る四天王の1つであり、北を守備していると言われている武神ですね。
上杉謙信は、戦への出撃前には必ず毘沙門堂に籠り座禅や瞑想を行うほど崇拝していたと同時に、自分自身のことを毘沙門天の化身だと思っていました。
上杉謙信は毘沙門天に国の安寧を祈っており、その祈りを成就させるために肉を食べることを辞め、女性と交わることも断ちました。
恃女すらそばには近寄せなかったといいます。
国の安寧のためにここまで欲を禁じられるなんてとてもストイックな人物ですよね。
仏教を信じて女遊びも贅沢もせず、自分に厳しい上杉謙信のことを周りの人々も毘沙門天の化身だと信じていたようです。
何かを信じて崇拝することは、疎まれやすいことが多い現代ですが、時には自分の力になり得るということが学べますね。
上杉謙信の名言3「人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり」
「人の落ち目を見て攻め取るは、本意ならぬことなり」
武田信玄の死後、若くして後を継いだ武田勝瀬が長篠の戦において敗北した際に、武田の領地に攻め入りましょうと提案した家臣に対して上杉謙信が放った名言です。
今攻め入れば確実に武田軍を滅ぼせるが、それは上杉謙信自身の義に反することだという意味を込めています。
確実に勝てる時ですら自分の信念を曲げなかった上杉謙信は、その後、武田軍と争うことは本当にありませんでした。
ライバルが弱っている時に勝っても、そは本来の意味での勝利とは言えません。
上杉謙信はそのことを悟っていて、その義を貫き通しました。
戦うならいつでも正々堂々と、という心意気が伝わってくる名言です。
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上杉謙信の名言4「運は天にあり、鎧は胸にあり~」
「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり。何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし」
運は天が決めることですが、自分の身を守るのは自分自身の能力や心、日々の準備で決まっていくものです。
勝利という功績も天に任せるのではなく、自分で勝ち取るものという意味合いの名言です。
簡単に言えば、他力本願ではなく自分の力で全てコントロールしましょうということです。
自分で努力して、自分自身をコントロールするというのは現代社会においても必要な生きる術ですよね。
いつまでも他力本願では、最終的に何も残りません。
常日頃から努力していれば報われるので、そのための準備や訓練を怠ってはならないことが学べます。
上杉謙信の名言5「人の上に立つ対象となるべき人間の一言は~」
「人の上に立つ対象となるべき人間の一言は、深き思慮を持ってなすべきだ。軽率なことを言ってはならぬ」
この名言は、人の上に立つ者は深い考えを持って発言し、決して軽率なことを言ってはならないという意味が込められています。
確かに、いつの時代も人の上に立つような人は何かしらの名言を残していますよね。
深い考えを常に持っているからこそのことでしょう。
この言葉は、上杉謙信が自分自身を律するために発していた言葉です。
家臣に厳しかった上杉謙信ですが、その何倍も自分自身に厳しかったことが分かります。
常に深い思考を持ち、家臣にも自分にも厳しかったからこそさまざまな人に好かれていたのでしょう。
上杉謙信は人の上に立つべくして生まれたといっても過言ではなさそうです。
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上杉謙信の名言6「戦場の働きは武士として当然のことだ。~」
「戦場の働きは武士として当然のことだ。戦場の働きだけで知行を多く与え、人の長としてはならない」
戦場で勝つのは武士として当たり前なので、戦場での勝利だけで人を判断して褒美を多く与えたり、人の上に立たせることをしてはならないという意味の名言です。
得意なことがある人が、その分野で功績を残すことは当たり前のことです。
だから、その功績だけで評価するのではなく、きちんと人柄や経験を考慮して評価しなければなりません。
誰かを出世させられる立場にある方などは、この名言を頭に置いて、人を見抜きましょう。
功績が素晴らしくてもその他が出来ていない人を出世させても、その後は長くは続いていかないものです。
しっかりと功績以外のところにも目を向けて、人を選んでいくことの大切さを教えてくれています。
上杉謙信の名言7「極楽も地獄も先の有明の 月の心にかかる雲なし」
「極楽も地獄も先の有明の 月の心にかかる雲なし」
こちらは、上杉謙信が戦の前に残していた句です。
自分が死んだ後は極楽に行くのか地獄に行くのか分からないけれど、心は、雲のかかっていない月のように晴れやかであるという意味を込めています。
極楽か地獄か、どちらにいっても後悔はないということですね。
戦の度に死ぬ覚悟を決めながら自分の義を貫き通して、一生懸命に人生を生きていた上杉謙信だからこその名言です。
一生懸命今を生きることの大切さを教えてくれる名言です。
堕落した日々を過ごしていると、死ぬときに必ず何かしらの後悔が残ってしまうものです。
毎日を一生懸命に生きていれば、上杉謙信のように晴れやかな心を持つことができるでしょう。
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上杉謙信の名言8「我は兵を以て戦いを決せん。~」
「我は兵を以て戦いを決せん。塩を以て敵を屈せしむることをせじ」
武田信玄が北条氏から塩の供給を断たれるという戦術をとられた際に、武田信玄のライバルであった上杉謙信は武田信玄に塩を送ったことがあります。
その時に放った名言がこちらで、「敵に塩を送る」ということわざの元になっています。
ライバルであり敵でもある武田信玄に塩を送ったのは、一言でいえば、敵を味方にするためともいえます。
嫌いな相手や敵の困っている時に助けてあげることによって、助けられた相手は少なからず恩を感じますよね。
上杉謙信は、敵が弱っている時に責めたくないという義のもとで行いましたが、結果的には武田信玄の気持ちを味方にすることに成功しました。
ライバルであったり、嫌いな相手にこそ塩を送る(優しくする)というのはかなり賢い処世術だと言えますね。
敵に塩を送ることで、時に自分の味方になってくれることがあると教えられます。
ライバルや嫌いな人がいる方は、試してみてはいかがでしょう。
上杉謙信の名言9「心に物なき時は心広く体泰なり」
「心に物なき時は心広く体泰なり」
上杉謙信が上杉家の当主となった際に、家訓として残した言葉です。
ここでいう物とは、悩みや迷いのことを指しています。
悩みや迷いで自分を見失わずにいれば、心が広々として体もゆったりと健やかになるものという意味が込められています。
悩みや迷いは、自分の心だけでなく体も蝕んでいくものです。
現代でよく聞くうつ病なども悩みや迷い、ストレスによって心身が蝕まれている状態のことを言います。
心に悩みも迷いも無ければ、晴れやかに毎日を過ごせますよね。
自分を見失わないように、小さなことで悩まなくていいということを教えてくれています。
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上杉謙信の名言10「心に邪気なき時は人を育つる」
「心に邪気なき時は人を育つる」
こちらも上杉謙信が残した家訓の中の1つです。
偏った見方や考え方をしていなければ、その生き様を周囲が見て自然と育っていくということを語っている名言です。
類は友を呼ぶというように、常に心に邪気がある人の周りには同じような心を持っている人しか集まってきません。
卑しさや浅ましさという邪気がない人にはそういう人が集まり、周りも成長していくといったことを学ばせてくれます。
義に熱く、一生懸命に日々を生きていた上杉謙信らしい家訓ですよね。
上杉謙信のように、心を広く持って邪気を宿さずにいれば、もっと生きやすい人生になっていくかもしれません。
邪気も悩みや迷いと同じで心身を滅ぼしてしまいます。
そういった気持ちを持たないように、生きていきたいものです。
上杉謙信の名言11「心に自慢なき時は人の善を知り」
「心に自慢なき時は人の善を知り」
上杉謙信の家訓の中で、いちばんメジャーな名言ではないでしょうか。
自分に自惚れていない時は、人の長所や良さがよく見えるといった意味合いの言葉です。
プライドが高かったり自分を過剰に評価している時は、周囲の人のことを見下してしまいがちですよね。
自惚れというのは、時に自分の強みにもなりますが、こういった意味では恐ろしいものにもなります。
周りの長所や良いところを見るには、自惚れ過ぎないことが大切です。
誰かを評価する立ち位置にある人は、この名言を覚えておくと良いでしょう。
自惚れた気持ちを抑えることで、今まで見えなかった他人の長所がよく見えてくることを、この名言は教えてくれています。
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上杉謙信の名言12「心に迷いなき時は人を咎めず」
「心に迷いなき時は人を咎めず」
上杉謙信が残した家訓の中から、もう1つ名言を見ていきましょう。
こちらは、しっかりとした信念を心に持ちって迷いがなければ、人を責めたり怪しんだりしないものだという意味を込めています。
心に迷いがあると疑心暗鬼になって、罪のない人を疑って咎めてしまうことが多々あります。
自分の中にしっかりと信念を持っていれば、そのような事態は避けられるということを上杉謙信が語っています。
誰かを疑ってばかりの人生では、自分も周りも楽しくないですよね。
人を疑ってばかりで責めてしまうという方は、この名言を思い出して信念を持ってみましょう。
自分の中に1つでも信じられるものがあれば、誰かを咎めてしまうということが減ってくるはずです。
上杉謙信の名言13「大将たる者は仁義礼智信の五を規とし~」
「大将たる者は仁義礼智信の五を規とし、慈愛を持って衆人を哀れむ」
大将になる者は仁・義・礼・智・信の5つを規範として、慈愛の心を持って民を大切にしなければならないという意味の名言です。
この名言こそ上杉謙信らしいと言えるのではないでしょうか。
仁義礼智信とは古くからの儒教の教えで、上杉謙信もその教えを心に置いていました。
仁は自分の役割を理解して自分を愛すること、義は人の歩む正しい道のこと、礼は目上の人に礼儀を尽くすことを指しています。
そして智は物事の善悪を正しく判断することを指し、信は心と言葉と行いが一致して嘘がないことを指します。
上杉謙信は仁義礼智信を常に心に置き、さらに慈愛の心を兼ね備えながら自国の民と接していました。
上杉謙信が家臣だけでなく、民からも好かれていた理由が分かりますね。
どういった心を持っていれば人に好かれるかを、上杉謙信の生き様とともに教えてくれる名言です。
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上杉謙信の名言14「大事なのは義理の二字である。~」
「大事なのは義理の二字である。死ぬべきにあたってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ。これこそ武士の本意である」
こちらの名言は、死ぬのを怖がるな、主人に尽くせといった意味ではありません。
やるべきことをきちんと果たすことが義理であり、それが死であっても生であっても武士の本意だということを意味しているのです。
家臣を諭すための言葉ではなく、上杉謙信が誰かの下についている際に自分自身へ言い聞かせていた言葉です。
死ぬことへ覚悟を決めていた上杉謙信は、それすらも義理であり武士としての本意だと考えていました。
武士として、とても強くて立派な考え方ですよね。
やるべきことを全てやったなら死んでも本意だという考えはいささか極端ですが、何かをやり遂げるにはこのくらいの心意気を持つのも良いでしょう。
死んでも後悔がないくらいやり切ったという経験は、自分の中の大きな糧になりますよね。
上杉謙信の名言15「武士の子は十四、五歳の頃までは~」
「武士の子は十四、五歳の頃までは、わがままであっても勇気を育て、臆する気持ちを持たぬようにせよ。勇気のある父を持つ子は臆する心を持たぬ。父は常々この道を説き諭すことが大事である」
上杉謙信の子育てへの思想が分かる名言です。
子どもというものは親の真似をして育っていくものですよね。
勇気を持ち、臆する気持ちを持たない父親なら子どももそういう風に育っていくということを意味しています。
つまり、子どもに立派に育ってほしいならまずは自分が立派でなければならないということです。
人に恥じない生き方を、自分で示していくことの重要さを教えてくれています。
この名言は子育てだけでなく、上司と部下の関係上でも活かせる言葉ではないでしょうか。
最初に自分がやり方や生き様を示さなければ、下は育っていかないものです。
誰かを育てるなら、自分が人に何でも言えるくらい立派でなければならないことが、この名言から学べます。
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上杉謙信の名言16「手にする道具は得意な物で良い。~」
「手にする道具は得意な物で良い。飛び道具を使っても、相手が死ねば死だ」
この名言には「鉄砲で撃っても、小太刀で斬っても、敵を討ったことに変わりはない」という言葉が続いています。
目的を達成するためへの手段は特には選ばない、相手が死ねば自分たちの勝ちだということを家臣たちに語った名言です。
得意な物を使い、たとえそれが狡い方法であっても勝ちは勝ちだという上杉謙信にしては珍しいと感じられる言葉です。
しかし、ここで上杉謙信が家臣たちに語ったのは狡さも良いということではありません。
自分の特技を知り、それを存分に活用しなさいということを説いているのです。
自分の得意なことを知るのは生きる上で大切なことですよね。
得意なことを知り、それを活かしたのなら狡くても成功は成功だということを教えてくれています。
生きる術を見つける重要さを学ばせてくれる言葉です。
上杉謙信の名言17「国を取ることは考えず、後の勝利も考えず~」
「国を取ることは考えず、後の勝利も考えず、目前に迫っている一戦を大事にするのみである」
上杉謙信は戦をするにあたって、国を勝ち取ることやその後の勝利についても考えず、ただ目の前の戦を大切にしていました。
そのことを語っている名言です。
後先を考えていても仕方がないということを教えてくれています。
勝利した後のことを考えると欲に目が眩んだり、失敗が怖くなったりと足枷になってしまうことが多いです。
どうなるか分からない未来のことを考えて足踏みするよりも、目の前のことを大切にする方が生きていく上で大切ですよね。
目の前のことを大切にして着実に成功を重ねていけば、おのずと結果はついてきます。
勝利の後のことは誰にも分からないから、まずは目の前のことを全力でやることが重要だと学べますね。
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上杉謙信の名言18「上策は敵も察知す。われ下策を取り~」
「上策は敵も察知す。われ下策を取り、死地に入って敵の後巻を断たん」
上手な策を使うと敵はそれを察知する、だから私は敢えて下手な策を使って危険な場所へ行き、敵の援軍を断つ方法を選ぶという意味の名言です。
ここでの後巻という言葉は、敵の後援(援軍)のことを指しています。
この名言を簡単にまとめると、わざと下手な策を使って敵を油断させる方が良いという意味合いになります。
上手すぎる策では敵も警戒するので、軍の数を増やして向かってきます。
それを避けるために、下手な策で敵を油断させて援軍を送らせないようにするという戦法です。
戦においての上杉謙信の賢さがよく分かる名言になっています。
上手すぎる戦略は敵を警戒させて守りを堅くさせるさせるだけだという、上杉謙信の発想の展観が素晴らしいですよね。
誰かと勝負をする時には、敢えて下手な戦法をとってみるのも良い手かもしれません。
上杉謙信の名言19「争うべきは弓矢にあり。米、塩にあらず」
「争うべきは弓矢にあり。米、塩にあらず」
8の「我は兵を以て戦いを決せん。塩を以て敵を屈せしむることをせじ」といった名言と関連している上杉謙信の名言の1つです。
武士たるもの、争うべきなのは弓矢であって米や塩ではないという意味を込めています。
米や塩といったものを争うのは武士ではないという、上杉謙信の武士としての意気込みが感じられる名言です。
この名言からは、目的をしっかりと持つことの重要さを学べます。
何を争うのかという目的を明白にすることで雑念がなくなり、目的に対してシンプルに向かっていけますよね。
雑念が多いと、戦略を考えるにあたって余計なことまで考えてしまいがちです。
これは何のためなのかということをはっきりさせることで、それに向かった道が開けてきます。
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上杉謙信の名言20「四十九年一睡夢 一期栄華一杯酒」
「四十九年一睡夢 一期栄華一杯酒」
49年の我が人生は一睡の夢のように儚かった、この世の栄華は一杯の酒に等しいという意味を込めた上杉謙信の世辞の句です。
一生懸命に生きたけれど夢のように一瞬で、栄華も築いたけれど一杯の酒のように一瞬だったという、なんとも儚い句ですね。
毎日を全力で生きていた上杉謙信には、まだまだ成し遂げたいことがあったのかもしれません。
家臣や国民にも愛されていた上杉謙信らしからぬ儚い世辞の句ですが、現状の自分に満足していなかったようです。
多くの名誉を残してきた上杉謙信ですが、それでもなお武士としての自分に満足していなかった上杉謙信はどれほど志が高い人物だったのでしょうか。
私たちも、何かを追い求め続けるような誇り高き人になってみたいものですね。
まとめ
義理人情に熱く、懸命に日々を生き抜いた上杉謙信の名言を紹介してきました。
上杉謙信の名言から垣間見える生き様は、感心できるものが多かったのではないでしょうか。
現代では、何かに一生懸命になるという人が少なくなっている傾向になります。
上杉謙信のような熱い人は疎まれる存在になりがちですよね。
しかし、熱く生きていても上杉謙信のように周りを思っていれば、周りに愛されるということが分かりました。
何かを達成したいと考えている方は、上杉謙信の名言を座右の銘にして、熱く生きてみてはいかがでしょう。
そうすれば、周りに愛されながら何かしらの結果を残していけるかもしれません!