ザノンフィクション~私の姪はアラブの王女~では中東オマーンのブサイナ王女の叔母、大山昌子さんが主人公です。
オマーンに日本人の母親とオマーン人の父親を持つ王女がいます。
そこで、ブサイナ王女の現在や画像!オマーン国王の父親と日本人の母親が誰かついてまとめました。
大山昌子さんの姪は、アラブの中東オマーンのプリンセス、ブサイナ王女だそうです。
実は80年前の戦前に日本人女性と元オマーン国王が恋愛して王女が誕生したのです。
現在のオマーン国王の叔母にあたる王女がブサイナ姫ですが、その存在を知る人は少ないそうですね。
ビックリしたことに、東日本大震災の支援金ランキングにおいて、オマーンはアメリカ・台湾・タイに続いて4位だそうですね。
オマーンと日本は8000kmも離れていますが、実は関係の深い歴史があったようです。
そんなオマーンのブサイナ王女は、国民の前に姿を見せることはないそうですね。日本の皇太子ご夫妻がオマーンを訪問された時も姿はなかったそうです。
大山昌子さんの願いは、血縁関係のある「ブサイナ王女にもう一度会いたい」というものです。いったい願いは叶うのでしょうか。
オマーンとは
オマーンと聞いても、すぐに場所がわかる人は少ないのではないでしょうか。
オマーンは、日本から約8000km離れている中東の国でアラビア半島に位置しドバイの隣です。
石油資源を背景にオイルマネーの恩恵を受けていますよね。
意外なほど親日家が多いそうですよ。
国名:オマーン
通貨:オマーン・リアル
人口:442.5万人
首都:マスカット
国王:カーブース・ビン・サイード
カーブース国王は、宮廷クーデターを起こして父親であるサイード王を追放しました。
以来、オマーンの国王の座に就き、首相、国防相、外相、財務相を兼任しています。
現在77歳のオマーン国王カーブースはブサイナ王女の甥に当たります。
現在のオマーン国王カーブース・ビン・サイードの祖父(元国王タイムール・ビン・ファイサル)がブサイナ王女の父親なのです。
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ブサイナ王女
名前:ブサイナ・ビント・タイムール
英語:Buthaina bint Taimur Al-Said
日本の名前:節子
生年月日:1937年10月10日
年齢:80歳
出生:日本の神戸
続柄:オマーン国王タイムール第1女子
父親:タイムール・ビン・ファイサル
母親:大山清子
異母兄:サイード元国王(現国王の父)
ターリック殿下
ブサイナ姫は、中東アラブのオマーンの王女です。
父親は、元オマーン国王、母親は日本人の大山清子です。
「ブサイナ」はアラビア語で「美しい」という意味で一般的な女性の名前です。
ブサイナ王女の父親・タイムール元国王
名前:タイムール・ビン・ファイサル
出身:オマーン
在位:1913年10月5日~1932年2月10日
妻 :6人
子供:5男1女
肩書:元オマーン国王
ブサイナ王女の父親は1932年までオマーン国王だったタイムール元国王です。
タイムール元国王は、退位したのち、1935年(昭和10年)に日本の神戸を訪れます。
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ブサイナ王女の母親・大山清子
名前:大山清子
出身:兵庫県
職業:神戸の税関
身長:160cm
兄弟姉妹:5人兄弟の長女
兵庫県の山間の村の出身で、厳しい大工の父親の元に生まれます。
なんと、5人兄弟の長女。
当時は珍しく、身長が160cmもある長身でした。
ごく普通の家庭で育った大山清子さんは愛情をたくさん受けて育ったそうですね。
ブサイナ王女の父親と母親の出会い
世界中を旅していたタイムール元国王は、神社や寺院がある日本にも立ち寄り神戸を訪れました。
そこで一人のある女性と出会い、恋に落ちました。
その女性こそ、ブサイナ王女の母親であり、大山昌子さんの姉、「大山清子さん」です。
当時は19歳でした。
当時神戸税関に勤務していた大山清子さんは仕事帰りに職場の友達とダンスホールに遊びに来ていたのでした。
そこに、やってきたタイムール元国王が当時19歳の大山清子さんに一目ぼれしたそうです。
なんと、映画のような出会いでしょうか。
タイムールの紳士的な姿勢に大山清子さんも心を奪われていったのでしょうね。
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タイムール元国王と大山清子の結婚
ダンスが大好きなタイムール元国王は、神戸のダンスホールに行き、そこで大山清子さんと出会い、おしとやかな印象にひかれていったのです。
そして大山清子さんは求婚されます。
しかし、オマーンは一夫多妻制。
すでに何人かの妻がいたタイムール元国王は当時47歳。年齢差もあったことから大山清子さんの家族に反対されたのでした。
タイムール元国王も大山清子さんとの結婚をあきらめませんでした。
そして、あまりにも清子との結婚に熱心だったことから彼女の両親はある条件を出します。
それは、「日本で生活すること」。
実は、タイムール元国王は、「オマーンの元国王」という身分を隠していました。大山清子さんにも伝えていませんでした。
タイムール元国王は、日本で永久に暮らすために身の回りのことを整理してもう一度日本にやってくると言い残し、母国オマーンに戻ります。
半年後、来日し、再び大山清子さんに求婚すると、家族はようやく結婚を認め、1936年5月5日に明石で日本式の三三九度の結婚式を挙げました。
なんと、日本で暮らすことを決意したタイムール元国王は、王室を離脱し、王室の座を捨てて日本に帰ってきたのでした。
当時は47歳と19歳。
そして国際結婚。
さらに、男性には複数の妻や子供。
親なら誰でも娘のことが心配になるでしょうね。
しかし、王室の座を捨ててまで清子さんと一緒になりたいという強い愛がタイムール元国王を動かしたのだと思います。
それにしても、オマーンに残された妻や子供は、夫や父親が日本に行くことを納得できたのでしょうか。
ブサイナ王女の誕生
タイムール元国王との結婚を許してもらった大山清子さんは、神戸市内の300坪ほどの洋館で一緒に暮らすことになります。
お金には困らないタイムール元国王との結婚生活は、今までの生活とはかけ離れて優雅でした。
料理人がついて、家には当時まだ珍しい外国の電化製品、宝石やドレスがあったそうです。
しかし、大山清子さんはこの時も夫が「元国王」とはまだ知らなかったそうですね。
当時仕事もしない夫に対して不思議に思っていたそうですが、資産家でお金があると聞いていたそうです。
そうしてブサイナ王女が誕生。
日本名は「節子」と名付けました。
ブサイナ王女が誕生すると、お祝いにある男性が駆け付けます。
それは、父の後を受け継いだ長男のサイード(当時国王)とその弟のターリック殿下(当時国王の弟)でした。
2人はブサイナ王女の異母兄弟です。
そして、大山清子さんはこのときはじめて夫が元国王であることを知ったのでした。
それにしても父の後を受け継いだ長男のサイード(当時国王)とその弟のターリック殿下(当時国王の弟)は遠くからよく来てくれましたね。
父親と誕生した王女のために異母兄弟とはいえ、祝福しにはるばる日本に来てくれたのはうれしいですね。
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タイムール元国王と大山清子の短い幸せ
タイムール元国王と大山清子は幸せな生活を送っていましたが、長くはありませんでした。
大山清子さんは難病を患い、1939年に23歳の若さで亡くなってしまいます。
タイムール元国王は清子さんのお墓を建てると、娘の節子(ブサイナ王女)の将来を心配し、王族の相続権を得られるようと翌年オマーンに連れて帰国しました。
ブサイナ姫は当時3才でした。
オマーンに連れていかれた節子は、『ブサイナ』という名前が付けられて王族の身分を与えられました。
タイムールは、ブサイナ王女を第一夫人に預けボンベイに移住します。
第二次世界大戦も始まり、タイムールは日本に戻る事ができず、1965年に78歳で亡くなります。
23歳は若すぎますよね。
今ならもっと治療ができたでしょうが、当時は大山清子さんも幼子を残して闘病生活もつらかったでしょうね。
しかし、タイムール元国王はお墓を立て、娘の将来を案じてオマーンに連れて帰国するなんて、妻と子供をを本当に愛していたのがよくわかりますね。
ブサイナ王女のその後
母を亡くしたブサイナ王女はその後、タイムール元国王とカラチに滞在後、オマーンの首都マスカットに住みます。
父の第一夫人に預けられ、オマーン人として教育を受けましたが、日本語は話せません。
その後、ブサイナ王女は異母兄もサイード王に王宮で軟禁されますが、クーデター(サイードの息子・現国王によるクーデター)により退位すると、カーブース王から軟禁が解かれました。
そうして1978年、異母兄弟のターリック殿下(サイード王の弟)と一緒に日本を訪れたことがありました。
母の大山清子のお墓に手を合わせる女性がブサイナ王女です。
そうして、39年ぶりに母の大山清子さんの親族と再会しました。
この時、大山清子さんの妹の大山昌子さんと出会います。
ブサイナ王女は、素敵な王女になられていましたね。
幼くして母を亡くし、父も身近にいないところで強くたくましく生きてこられましたね。
タイムール元国王の頼みとはいえ、第一夫人もよく育ててくれたと思います。
きっと素敵な方なのでしょうね。
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ブサイナ王女の現在
ブサイナ王女は現在80歳です。
なんと叔母の大山昌子さんとは8歳違いです。
国民の前に姿を出さないため、あまり広く知られていません。
皇太子ご夫妻がオマーンに訪問されても、その姿は見当たらなかったそうです。
ブサイナ王女はまだ健在でお元気だそうです。