田上昌徳は元高校野球選手ですが清原和博さんと甲子園決勝で対戦した高校の元エースです。
今回、清原和博に敗れた男たちの一人として、テレビ石橋貴明のスポーツ伝説光と影に出演しました。
そこで、
田上昌徳の今現在や高校野球時代の成績は?
田上昌徳の出身高校や経歴は?
という内容で調べてみました。
それでは、田上昌徳さんについて掘り下げてみていきましょう。
田上昌徳のプロフィールと経歴
名 前 :田上昌徳
生まれ年:1967年
職 業 :野球コーチ
桑田・清原のKKコンビで有名なPL学園と甲子園決勝で対戦したのが山口県の宇部商でした。
その甲子園決勝戦までエースを務めていたのが田上昌徳さんです。
サウスポー好きの玉国監督のもとで宇部商野球部を初めて甲子園決勝にもっていきました。
すでにお分かりのとおり、PL学園とは1点差で負けてしまいます。
高校卒業後は、プロから声がかからなかったため新日鉄光に就職し、社会人として在籍しながら数年後のプロ入りを夢見て頑張っていました。
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田上昌徳の出身高校は?
昨日の夜、1年振りに1985年夏準優勝時の宇部商エース・田上昌徳さんとお会いしました。山口県桜ヶ丘、徳山大の指導もされていた田上さんのお話は非常に説得力のあるものであやうくメモ帳を取り出しそうになった私でした…。(^o^;) pic.twitter.com/UDzF5JRLll
— jobin33375 (@jobin33375) 2016年7月3日
田上昌徳の出身高校は?
山口県立宇部商業高等学校です。
宇部商は「ミラクル宇部商」と言われるくらいミラクルを起こしながら試合を勝ち進めてきたことで有名です。
玉国監督のもとで野球したいと、甲子園を夢見てあちこちから宇部商野球部に入部する野球少年が多かったようです。
田上昌徳の高校野球時代の成績
1985年、田上昌徳さんの高校3年生の夏、甲子園決勝まで勝ち進んだ宇部商。
田上昌徳さんは本大会では体調を崩してしまいます。
そのため、決勝ではついに1球も投げさせてもらえませんでした。
PL学園との決勝当日は控えの投手・古谷友宏さんが投手を務め、田上昌徳さんは当日はレフトを守りました。
しかし、誰もが夢見る甲子園で田上昌徳さんは「投げたかった」と言っています。
そして、山口県甲子園予選大会から甲子園決勝まで勝ち進めてきたエースとして、一番出たい試合に出させてもらえなかったので「試合に勝ちたい、だけど勝ってほしくない」と、複雑な思いがあったと今だから語っています。
そのような思いのあった田上昌徳さんの高校3年生の試合成績ですが・・・
1985年の甲子園での田上昌徳さんの成績は4勝です。
1回戦 宇部商8-3銚子商
2回戦 宇部商8-0鳥取西
3回戦 宇部商8-5東農大二
準々決勝 宇部商5-3鹿児島商工
準決勝 宇部商7-6東海大甲府
決勝 PL学園4-3宇部商
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田上昌徳の今現在は?
田上昌徳さんの高校卒業後は、プロから声がかからなかったため新日鉄光に就職し、社会人として在籍しながら数年後のプロ入りを夢見て頑張っていました。
その後、左ひじを粉砕骨折してしまいます。
フェンスに激突したのが原因だったようです。
落ち込んでいる時に同僚からある言葉を耳にします。
清原和博が
「甲子園の決勝戦のあの時、もし、田上が投げていたら勝てていなかったかもしれない」
と話していたよ。・・・
田上昌徳さんは、これを励みにリハビリをさらに頑張ったのでした。
それから、野球を再開します。
しかし、もう一度、清原和博さんと対戦することを夢見て頑張りましたが25歳で引退しました。
田上昌徳さんの現在は何をされているのでしょうか。
最近までは、山口県立桜が丘高校野球部コーチ、徳山大学公式野球部コーチなどをされていましたが、
現在は、山口県光市で飲食店を経営しながらボーイズリーグの野球指導をしているそうです。