田上昌徳は元高校野球選手ですが
清原和博さんと甲子園決勝で
対戦した高校の元エースです。


今回、清原和博に敗れた男たちの
一人として、テレビ石橋貴明の
スポーツ伝説光と影に出演されます。


そこで、田上昌徳の今現在や
高校野球時代の成績は?
田上昌徳の出身高校や経歴は?
という内容で調べてみました。


それでは、田上昌徳さんについて
掘り下げてみていきましょう。


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◆田上昌徳のプロフィールと経歴

田上昌徳



———————————————–
名 前 :田上昌徳
生まれ年:1967年
年 齢 :49歳
職 業 :野球コーチ
———————————————— 
桑田・清原のKKコンビで有名な
PL学園と甲子園決勝で対戦したのが
山口県の宇部商でした。


その甲子園決勝戦までエースを
務めていたのが田上昌徳さんです。


サウスポー好きの玉国監督のもとで
宇部商野球部を初めて甲子園決勝に
もっていきました。


すでにお分かりのとおり、
PL学園とは1点差で負けて
しまいます。


高校卒業後は、
プロから声がかからなかったため
新日鉄光に就職し、
社会人として在籍しながら
数年後のプロ入りを
夢見て頑張っていました。

◆田上昌徳の出身高校は?

田上昌徳の出身高校は?
山口県立宇部商業高等学校です。


宇部商は「ミラクル宇部商」
と言われるくらい
ミラクルを起こしながら試合を
勝ち進めてきたことで有名です。


玉国監督のもとで野球したいと、
甲子園を夢見て
あちこちから宇部商野球部に入部する
野球少年が多かったようです。

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◆田上昌徳の高校野球時代の成績




1985年
田上昌徳さんの高校3年生の夏、
甲子園決勝まで勝ち進んだ宇部商。


田上昌徳さんは
本大会では体調を崩してしまいます。
そのため、決勝ではついに1球も
投げさせてもらえませんでした。


PL学園との決勝当日は
控えの投手・古谷友宏さんが
投手を務め、
田上昌徳さんは
当日はレフトを守りました。


しかし、
誰もが夢見る甲子園で
田上昌徳さんは
「投げたかった」と言っています。


そして、
山口県甲子園予選大会から
甲子園決勝まで勝ち進めてきた
エースとして、


一番出たい試合に
出させてもらえなかったので


「試合に勝ちたい、
だけど勝ってほしくない」


と、複雑な思いがあったと
今だから語っています。


そのような思いのあった
田上昌徳さんの高校3年生の
試合成績ですが・・・


1985年の甲子園での
田上昌徳さんの成績は4勝です。
———————————
1回戦  宇部商8-3銚子商
2回戦  宇部商8-0鳥取西
3回戦  宇部商8-5東農大二
準々決勝 宇部商5-3鹿児島商工
準決勝  宇部商7-6東海大甲府
決勝  PL学園4-3宇部商
——————————–

◆田上昌徳の今現在は?

田上昌徳さんの高校卒業後は、
プロから声がかからなかったため
新日鉄光に就職し、
社会人として在籍しながら
数年後のプロ入りを
夢見て頑張っていました。


その後、
左ひじを粉砕骨折してしまいます。
フェンスに激突したのが原因だった
ようです。


落ち込んでいる時に
同僚からある言葉を耳にします。
——————————
清原和博が

「甲子園の決勝戦のあの時、
 もし、田上が投げていたら
 勝てていなかったかもしれない」

と話していたよ。・・・
——————————

田上昌徳さんは、
これを励みにリハビリを
さらに頑張ったのでした。


それから、
野球を再開します。


しかし、
もう一度、清原和博さんと
対戦することを夢見て頑張りましたが
25歳で引退しました。


田上昌徳さんの現在は何をされて
いるのでしょうか。


最近までは、
山口県立桜が丘高校野球部コーチ

徳山大学公式野球部コーチ
などをされていましたが、


現在は、
山口県光市で飲食店を経営しながら
ボーイズリーグの野球指導をしている
そうです。

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