岡林洋一(おかばやしよういち)さんは元プロ野球選手です。今回世界!ニッポン行きたい人応援団に出演します。
そこで、岡林洋一元投手の現在や子供(息子)は?成績やパラグアイ出身の理由は?という内容でまとめました。
岡林洋一さんはどのような人物でしょうか。
岡林洋一のプロフィール
名 前:岡林洋一
よ み:おかばやしよういち
生年月日:1968年4月11日
年 齢:54歳
国 籍:日本
身 長:186cm
体 重:79kg
高 校:高知商業
大 学:専修大学
選手歴 :ヤクルトスワローズ
(1991 – 2000)
コーチ歴:ヤクルトスワローズ
(2001 – 2004)
投球打席:右投左打
ポジション:投手
プロ入り:1990年
初 出場:1991年4月10日
最終出場:2000年10月11日
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岡林洋一のパラグアイ出身理由
岡林洋一さんは南米パラグアイの日系人移住の二世です。
そのため、パラグアイの日系人移住地であるイグアス居住区で生まれ14歳まで住んでいました。
その後、家族の出身地である高知県に移り住みました。
出身はパラグアイですが、国籍は日本国籍です。
岡林洋一の経歴
岡林洋一さんは南米パラグアイのイグアスで生まれます。
14歳の時に高知県に移住し高知商業に進学しました。
その後、専修大学に進学すると、東都大学リーグでエースとして6勝1敗をあげました。
これは史上最多の31回目の優勝です。
そしてエースとしても貢献しながら最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインにも選ばれています。
1991年にドラフト1位でヤクルトに入団すると、オープン戦ではルーキー大賞を受賞しました。
また、抑え投手として12勝6敗12セーブの成績をおさめています。
1992年は西武ライオンズとの日本シリーズでは先発登板し完投しました。
そこで敢闘選手賞受賞しています。
1993年には開幕から先発として登板しています。
しかし巨人戦との10回戦で完封勝利の5勝目(4敗)を最後に次第に負けるようになります。
チームはリーグ優勝して日本シリーズも制しましたが、岡林洋一氏の登板はありませんでした。
その後、岡林洋一さんはヒジを痛め、怪我に苦しめられます。
しかし、一軍のマウンドに立つことにこだわっていたために、1995年の11月に手術を決断しましたが、その後、勝ち星をなかなか得られずに2000年に引退します。
2001年にヤクルト二軍コーチ、2005年にはスカウトに転身しました。
岡林洋一さんは、このようにずっとエースとしてチームを引っ張ってきた方でした。
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岡林洋一のプロ野球の成績
プロ通算成績は53勝39敗
防御率3.51
1991年 12勝6敗12セーブ
1992年 15勝10敗
1993年 5勝 8敗
1994年 11勝5敗
1995年 7勝 7敗
1997年 1勝 1敗
1999年 1勝 2敗
2000年 1勝
2000年に引退。
岡林洋一の実力
岡林洋一さんはプロ野球選手として素晴らし成績や実力のある選手でした。
そのため、いくつも表彰されています。
日本シリーズ敢闘賞:1回 (1992年)
最優秀バッテリー賞:1回 (1992年、捕手:古田敦也)
優秀JCB・MEP賞:1回 (1994年)
岡林洋一さんは1992年日本シリーズにおいて力投をして、MVPを受賞した投手です。
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岡林洋一のプロ入り初完封動画
岡林洋一の息子
岡林洋一さんは結婚して息子さんが3人にいらっしゃいます。
子供さんはやはり全員野球をやっていました!
噂では、長男さんと次男さんは高知商業でお父さんの岡林洋一さんと同じ高校で、三男さんは土佐高ではないかと噂です。
現在、岡林洋一さんの次男・岡林祐世さんは愛知大学に進学されて野球をされているようですね。
そして次男の岡林祐世さんから考えると、おそらく長男さんは社会人か大学生で、三男さんは高校生だと思います。
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岡林洋一の現在
岡林洋一さんの現在は、プロ野球選手のスカウトをしています。有望な新人を発掘するために、全国を飛び回っています。その新人発掘のため1年間に400試合以上も見ています。
そんな岡林洋一さんがスカウトした選手の一人に、2010年にドラフト4位で入団した平井諒投手がいます。
プロ入りして下半身を鍛えて強化した結果、154km/hまで球速が伸び、広島戦でプロ勝利を挙げています。
プロでもなかなか出せない速球の伸びを出しています。