坂原秀尚(さかはらひでなお)監督は山口県の下関国際高校野球部監督です。
夏の甲子園の準々決勝では春夏連覇を目指すセンバツ優勝校・大阪桐蔭を5-4で逆転勝ちし、準決勝ではセンバツ準優勝の近江を8-2で破り決勝戦に勝ち進みましたね。
そんな下関国際の坂原監督は、当時部員が数人しかいない下関国際高校に自ら手紙を書いて監督を志願し、荒れていた野球部を甲子園出場まで立て直した監督だったと話題です。
そこで、下関国際高校の坂原秀尚監督の経歴や家族!野球部立て直しが感動的すぎる!という内容でご紹介します。
2017年の夏には
・「文武両道あり得ない」
・「他校の選手が甲子園でかき氷を食べていましたよ。うちは許さんぞと(笑)僕らは水です。炭酸もダメ。飲んでいいのは水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクだけ。」
と発言して話題にもなりました。
そんな坂原秀尚監督率いる下関国際高校は、春夏合わせると今回5度目の甲子園出場です。
坂原秀尚監督は、一体どのような方法で野球部を立て直したのでしょうか。
坂原秀尚監督とは、どのような人柄なのでしょうか。
<関連記事>
西谷浩一監督:大阪桐蔭監督の体重は?スカウト術やベビースターとは?
須江 航監督:仙台育英監督の経歴と家族は?名将と呼ばれる指導方法とは?
斎藤智也監督:聖光学院監督の野球指導方法がスゴすぎる!
川崎絢平監督:明豊監督の年齢やプロフィールと野球部指導の考え方!
馬淵史郎監督:明徳義塾監督が松井秀喜を5打席連続敬遠した理由!
仲井宗基監督:八戸学院光星監督の野球の指導方針と強さの秘密!
若林弘泰監督:東海大菅生監督(元中日投手)の経歴や野球指導法!
坂原秀尚監督の下関国際高校とは
もともと、電子工業の高校だったのが下関国際高校です。
春夏通じての甲子園初出場は2017年の夏でした。
2017年の夏に監督が
・「文武両道あり得ない」
・「他校の選手が甲子園でかき氷を食べていましたよ。うちは許さんぞと(笑)僕らは水です。炭酸もダメ。飲んでいいのは水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクだけ。」
と発言して話題にもなりましたね。
その後、春2回(2018・2021)夏3回(2017・2018・2022)で5回目の甲子園出場となっています。
そんな下関国際高校の大会の成績を簡単にご紹介しますね。
スポンサーリンク
坂原秀尚監督率いる下関国際高校の2022年夏の試合成績
【準決勝】
下関国際 101 002 130=8
近江 002 000 000=2
【準々決勝】
下関国際 001 011 002 =5
大阪桐蔭 200 011 000 =4
【2022年夏・甲子園】
決 勝 VS 仙台育英
準決勝 8-2 近江(滋賀)
準々決勝5-4 大阪桐蔭
3回戦 9-3 浜田(島根)
2回戦 5-0 富島(宮崎)
【2022年夏・山口大会】
決 勝 10-4 宇部工
準決勝 4-3 南陽工
準々決勝10-0 岩国商
3回戦 5-3 宇部鴻城
2回戦 7-0 下関工科
注目は左右の好投手です。
なんと最速147キロという左腕・古賀康誠投手、最速147キロの右投手・仲井慎投手の投手層が厚く打撃も強力で守りも堅いのが特徴。
甲子園が始まるときの目標はベスト8で、全国のベスト8予想にも「下関国際」が挙がるほど注目されていました。
そうして順調に勝ち進むも、準々決勝では優勝候補の大阪桐蔭と対戦することに。
坂原監督は「どうやって点をとるかばかりを考えている」と言っていましたね。
試合が始まってみると、大阪桐蔭に追いつくことはできても追い越せない試合展開に。
しかし、大阪桐蔭の攻撃でノーアウト1塁・2塁からピンチを脱した下関国際の「トリプルプレー」は見事でしたね!
わたしは試合中で初めて見ました。
そして、1点を追う最後の九回。逆転して王者・大阪桐蔭に勝ちました。
高校野球に絶対なんてありませんね。
この予想していなかった展開にコメントを出している人がいました。
元DeNAで野球解説者の高木豊さんです。
先に謝っとく、ごめんね🙏
まさか、下関国際が大阪桐蔭に
勝つなんて思ってもみなかった!
感動の多く詰まった試合だった。
おめでとう、山口県人として
誇りに思うよ^_^— 高木豊 (@bentu2433) August 18, 2022
下関国際高校が初出場した時の甲子園での坂原監督のコメントが感動的
【祝・下関国際甲子園初出場決定】
下関国際の選手は落ち着いている。打席で目が泳いでる選手は皆無。バントのサインにいとも簡単にバントを決め、ヒッティングのサインでは迷う事なくフルスイング。選手から絶大な信頼感を得ている坂原秀尚監督は【カリスマ】よりも【GOD】の文字が似合う監督! pic.twitter.com/8hZjmRgwKV— jobin33375 (@jobin33375) 2017年7月29日
甲子園初出場した2017年夏の甲子園では、下関国際(山口)4―9三本松(香川)で負けてしまいました。
しかし、荒れていた野球部を監督就任当時から12年もかけて念願の甲子園へと導いた坂原秀尚監督は目頭を熱くしてコメントしていました。
坂原秀尚監督はこのように語っています。
「最高の2時間でした。下関国際の名前がスコアボードに刻まれた瞬間は本当に感動した。ここまで連れてきてくれた選手に感謝です」
これまでやってきたことが報われ、自分を信じてついてきてくれた生徒や家族、応援してくれるみんなのことを考えると胸が熱くなったのでしょうね。
スクールウォーズの野球部版だと感じた方も多かったのではないでしょうか。
その後も甲子園切符は誰にも渡さず2018年は春夏の2回、2021年は春に甲子園出場を果たしています。
そんな熱い坂原秀尚監督のプロフィールをご紹介します。
スポンサーリンク
坂原秀尚監督(下関国際高校)のプロフィール
名前:坂原秀尚
生まれ年:1976年
高校:広島電機大学附属高等学校
(現・広島国際学院高等学校)
大学:広島国際学院大学・東亜大学
社会人野球:ワイテック
職業:保健体育科教諭
下関国際野球部監督
坂原秀尚監督(下関国際高校)の経歴
坂原秀尚監督は現役時代は投手で、社会人野球まで野球をされています。
広島国際学院大学では、教員免許を取っていませんでした。
なので、高校野球の指導者になるべく教員免許の取得のために東亜大学に通いながら2005年8月に下関国際高校の監督に就任しています。
実は、坂原秀尚監督が下関国際高等学校に就任する前ですが、下関国際高校は生徒が荒れ放題でした。
野球部員の集団万引きが発覚し、山口県大会の抽選会直前で出場の停止処分を受けたこともあるほどです。
そんな下関国際高校に「野球部監督がいない」と知った坂原秀尚監督は、当時部員が数人しかいない下関国際高校に自ら手紙を書いて野球部監督を志願しました。
「給料はいりません。野球を教えさせてもらえないでしょうか」と。
そうして、荒れて野球部員が足りない状況から12年かけて立て直し、初めて甲子園に出場したのが坂原秀尚監督です。
実際にどのくらい荒れていたのでしょうか。
スポンサーリンク
坂原秀尚監督(下関国際高校)の就任時の野球部
坂原秀尚監督が下関国際に就任する前は野球部生徒は荒れていたそうです。
その荒れ放題だった野球部を坂原監督は甲子園出場するほどに立て直しました。
就任当時の状況は、
・新しい監督が厳しくて野球部員が反発し、部員のほとんどが辞めて最後に残ったのは1人だった。
・グランウンドの整備や野球道具の扱いがひどかった。
・野球部のマナーが悪かった。
・毎年主将が逃げた。
このように、なんだかドラマのような話ですが生活態度を正すことから始めたそうです。
そうして野球部を再生。
なんと、12年も時間をかけて、甲子園に出場するほどの実力のある野球部に立て直しています。
坂原秀尚監督(下関国際高校)の野球部を立て直した方法とは
●県外チームとの遠征試合で自信をつけた
●携帯電話は入部前に解約
●連帯感を持たせた
●練習は朝5時から2時間
●授業後の練習は午後4時~11時までというスパルタ
●文武両道ではなく一つに集中してやることも大事という教え
●体づくりの徹底(飲み物は、水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクのみ)
●買い食い認めない
このように、「一流」とは「一つの流れ」であるため、野球という一つのことに集中して日々の練習を行ってきたようです。
どうやら昭和の野球のようなイメージですが、進学校ではない下関国際高校では学生の自主性を待っていたら3年が終わってしまうため、半ば強制的に指導して練習を行っていました。
野球をすると誰もが憧れる甲子園。
その甲子園を目指して練習をするからには徹底した内容だなと思いました。
たしかに、東大目指すのに中途半端な気持ちで勉強しても合格できないのと同じように、甲子園の切符は生半可な気持ちでは手にできませんよね。
やるからには目標に向かって一心に進んで来られたのではないかなと思います。
このように野球に人生をささげている坂原秀尚監督にも家族がいると思いますが、奥さんや子供はいるのでしょうか。
スポンサーリンク
坂原秀尚監督(下関国際高校)の家族
坂原秀尚監督の家族について調べてみました。
どうやら、妻と子供3人の5人家族です。
そして、ビックリしたのがこれまで引っ越しを4回もしているそうです。
この引っ越しは、家族のためではなく、野球部の生徒のためというのです。
坂原秀尚監督は、家族との時間も大事にされているとは思いますが、野球部生徒への愛も深いのではないでしょうか。
坂原秀尚監督(下関国際高校)の野球部選手愛が感動的!
坂原秀尚監督は、やはり野球部員の選手への愛が深い人でした。
全国には野球部の名門校がたくさんありますが、下関国際高校は2017年夏に初めて甲子園に出場した私立高校です。
地元中学生には伝統的な野球の歴史がある名門校が人気のようで、坂原秀尚監督の下関国際高校の野球部に入部してくるのは中学時代に補欠だった選手が多かったそうです。
しかし、坂原秀尚監督は「野球のだいご味は弱者が勝つこと」という信念を持っています。
野球を突き詰めて試合に勝てば自信につながるからこそ、「逆転」が始まると信じています。
そのような信念をもって坂原秀尚監督は就任12年目で甲子園出場を果たしますが、選手への愛情は深いものでした。
名門校ではない下関国際高校では野球部の寮はありませんでした。
(2020年に野球部寮「立志貫道館」が完成しています)
毎日21時まで練習をするのですが、遅いときは23時まで練習をすることがあるそうです。
そんな野球部員の選手たちは、アパートを借りて暮らす選手もいるそうです。
選手は高校3年間アパートを借りますが、選手のアパートが変わると、坂原秀直監督も選手のアパートの目の前の物件を探すなどして近くに引っ越ししていました。
結婚して、妻と子供3人を抱えているにもかかわらずです。
今までの引っ越しは4回以上になるそうですが、その費用はボーナスから出しているため坂原秀直監督の自腹です。
坂原秀直監督は「その子の人生を預かっているので。そこは見てあげなければいけない。」と言っています。
坂原秀直監督は、ただ単に口先だけの厳しい監督ではありませんでした。
自分に一番厳しい人だと思います。
自らもできるだけのことをしようと努力されています。
このような裏話に私は涙でウルウル。( ノД`)・・・
そして、生徒に自信をつけさせるために行う広島、東京、大阪など、遠征試合のたびにマイクロバスを運転するのは坂原秀尚監督です。
東京などの遠征のための飛行機代や交通費は、坂原秀尚監督が年末の漁港でアルバイト(冷凍した魚を冷凍車から降ろす)して充たしていたのです。
ぜひ、甲子園の舞台で勝ち進み、下関国際高校をアピールしてほしいと思いました。
今後は甲子園出場校として人気を集め、支援者も増えるかもしれませんね。
スポンサーリンク
まとめ
このように、野球する選手ならだれもが憧れる甲子園の舞台に出場することになった下関国際高校ですが、坂原秀尚監督は選手との絆は深く信頼も厚いようです。
坂原秀尚監督からたたき上げられた選手はもしかすると、殻を破って才能を発揮するかもしれませんね。
今まで頑張ってきた練習の成果を存分に試合で出し切ってほしいと思います。
<関連記事>
西谷浩一監督:大阪桐蔭監督の体重は?スカウト術やベビースターとは?
須江 航監督:仙台育英監督の経歴と家族は?名将と呼ばれる指導方法とは?
斎藤智也監督:聖光学院監督の野球指導方法がスゴすぎる!
川崎絢平監督:明豊監督の年齢やプロフィールと野球部指導の考え方!
馬淵史郎監督:明徳義塾監督が松井秀喜を5打席連続敬遠した理由!
仲井宗基監督:八戸学院光星監督の野球の指導方針と強さの秘密!
若林弘泰監督:東海大菅生監督(元中日投手)の経歴や野球指導法!