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佐々木洋監督(花巻東)の野球指導方法や強さの秘密!息子は怪物選手

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佐々木洋(ささきひろし)監督は花巻東高等学校の野球部監督です。

もちろんご存知ですよね、現在アメリカ全土を席巻する「オータニ」ブームの張本人である「大谷翔平」選手、「菊池雄星」選手を輩出した東北の雄とも称されるチームの監督です。

花巻東高等学校野球部が全国区となり「名門」の仲間入りしてからの歴史は他校より浅いにもかかわらず、春夏通じて11回の出場を果たしています。(前身の「花巻商業」時代を含む)

また高校野球通の方ならこのフレーズご存知ですよね、「逆転の花巻東」。

今回は2002年に同校の野球部監督に就任した佐々木監督がこの短い期間で、いかにしてチームを全国レベルまで引き上げることが出来たのか、その手法や考えを覗いてみたいと思います。

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佐々木洋監督(花巻東高校)のプロフィール

https://www.nikkansports.com/

名前:佐々木洋(ささきひろし)
生年月日:1975年7月27日生
出身:岩手県北上市
出身高校:黒沢尻北高校
出身大学:国士舘大学
担当教科:地歴公民

佐々木監督は地元岩手県の出身で、県内でも指折りの進学校と言われる「黒沢尻北高校」から国士舘大学へ進学しています。

同校は創立97周年(2021年現在)と歴史と伝統ある高校で、卒業生にはあの「ドラゴン桜」の作者である漫画家の「三田紀房」氏も同窓生として名を連ねています。

そんな佐々木監督も中学時代は地元の江釣子(えづりこ)では名の知れた番長だったそうで、当時流行った学ランにぼんたん姿で登校していたんだそうです。

しかしその悪ガキぶりに目をつけた斎藤先生(理科教師)先生が、生徒会長に立候補するよう説得したんだとか。

「番長=リーダーシップ」という発想の転換が功を奏し、当時の佐々木少年が持つリーダーの器を見事に開花させてくれたお陰で今の佐々木監督があるんだと監督自身も語っています。

出会いは一瞬、人が人を見極め人が人を育てる、ITが進む現代においても人と人のコミュニケーションはなくてはならないものなんでしょうね。

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佐々木洋監督(花巻東高校)の経歴

時は過ぎ、佐々木監督は当時「東都リーグ2部」に属する国士舘大学へ進学し、野球部で捕手として活躍していました。

ただ、1部との入れ替え戦ではなかなか勝てないという不遇の時代も。

中高生時代から「いずれは教師となり、高校野球の監督になる」という目標を持っていた佐々木監督は、大学の先輩「横浜隼人高校」の水谷哲也監督を頼って教育実習にいきました。

その後晴れて教員資格を取得。

大学卒業後は同校の教員として採用され野球部のコーチとなり、ここで佐々木野球の礎を築くこととなります。

佐々木洋監督(花巻東高校)の「監督」としての高校野球の成績や実績

2005年 全国高校野球選手権大会(2回戦敗退)
2007年 全国高校野球選手権大会(1回戦敗退)
2009年 選抜高等学校野球大会(準優勝) 
※菊池雄星選手出場
2009年 全国高校野球選手権大会(ベスト4)
2011年 全国高校野球選手権大会(1回戦敗退) 
※大谷翔平選手出場
2012年 選抜高等学校野球大会(1回戦敗退) 
※大谷翔平選手出場
2013年 全国高校野球選手権大会(ベスト4)
2015年 全国高校野球選手権大会(3回戦敗退)
2018年 選抜高等学校野球大会(ベスト8)
2018年 全国高校野球選手権大会(1回戦敗退)
2019年 全国高校野球選手権大会(1回戦敗退)
2022年 選抜高等学校野球大会(1回戦敗退)

佐々木監督が2002年に就任以来、春のセンバツ3回・夏の全国大会8回出場と名実ともに甲子園の「常連校」となりました。

出場した年に注目してもらえれば一目瞭然ですよね。

「石の上にも三年」とよく言いますが、まさに3年後に全国大会出場を果たしているという実績を見てもチーム育成の堅実さが伺えるとは思いませんか?

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佐々木洋監督(花巻東高校)の野球の指導方法

ここでは佐々木洋監督の野球の指導方法をいくつかご紹介しますね。

人生にも活きる論理的思考による指導

佐々木監督の指導方法は「何故この練習が必要なのか」ということを論理的に解説して選手達に伝え、いかに時間をかけずにレベルアップさせるかといった点に注力して指導しています。

その良き教材となるのが失敗の経験でした。

なぜなら、積極的な「失敗」はなぜ失敗したのか考え、自主的に修正能力が身につくからです。

失敗を克服した時こそ同じ失敗はしないんでしょうね

これは野球を問わず人生など何にでも通ずることではないでしょうか。

押さえつけない指導

佐々木監督は押さえつけない指導をしています。

①強制丸刈り制度の廃止

2018年夏の甲子園が終わって間もなく佐々木監督は野球部の強制丸刈り制度を止めました。

現在の花巻東の練習に目を向けてみると選手が佐々木監督に対して萎縮したような部分が見えてきません。

目に映るのは信頼関係だけ。

これも佐々木流改革のひとつであり、新しいチーム作りへの模索の始まりでもあったのでしょう。

②その他の押さえつけない指導

佐々木監督はそのほかにも押さえつけない指導として、練習でのミーティング時、選手はベンチに腰掛けるアメリカンスタイルに変えてもみたようです。

また、叱るときでさえ、選手の長所を認めた上で付け加えるように欠点を指摘するなど細部に意識するようにしました。

これまで押さえつける指導が選手のためだとされていた真逆の方向を辿ることで、全力疾走、ベンチ内での声出しと拍手、礼儀作法が自主的に行えるようになったんでしょうね。

選手の自主性を邪魔しない指導

佐々木監督は「監督がグラウンドで主人公のうちは勝てない。監督は演出家として選手をいかに主人公にするかが任務」と語ります。

なぜかというと、佐々木監督が就任ししばらくした頃、かつての恩師が練習を見て「お前は選手の邪魔をしている」と言われたからです。

つまり、佐々木監督は選手に指示を出しすぎて選手の自主性を邪魔していたんですね。

ある程度指導者としての自信も湧いてきて、自分が作り上げたチームと自分の裁量を恩師に見て欲しかったんでしょうけど、逆にその一言を言われたことでさらに創意工夫に努めていきました。

まるで打たれても簡単にはダウンせず、打たれながら常に逆襲を考えているボクサーのようなメンタルが花巻東の強さの要因ではないでしょうか。

佐々木洋監督(花巻東高校)の考え方と名言


順風満帆に思える花巻東の野球部ですが、佐々木監督にはどうしても譲れない理念があります。

それは、「徹底的地元主義」という考え方で、岩手県内の生徒以外は入部させないということです。

現状の高校野球では越境入学は日常茶飯事のことで、田中将大やダルビッシュ有など甲子園を沸かせた数々の選手はこの最たるものですが。

では何故佐々木監督はそこまで地元出身者に固執するんでしょう、ちょっと深堀りしてみたいと思います。

「選手がいないのではなくて、指導者がいないのだ」

この一言に全てが詰まっていました。

実は長い間、「岩手県代表は甲子園で勝てない」「(冬の間は練習ができないハンデ)練習不足のため選手が育たない」「資質のある中学生がいない」とまで言われてきました。

その考えに長いこと疑問を抱いていた佐々木監督は、実際に自分が指導者の立場となりすぐにこの謎を解いたと言います。

「選手がいないのではなくて、指導者がいないのだ」

佐々木監督就任時に学校側から越境させても良いという提案も頂いたそうですが、時間が許せば県内の中学生のプレイを見てきた佐々木監督にはそれほど大きな差を感じなかったようです。

指導者として指導するには十分な土壌はあるので、野球部の生徒はこのまま地元出身者にこだわって突き進むことにしました。

実際に菊池雄星選手や大谷翔平選手が現役メジャーリーガーとして活躍しているので、佐々木洋監督の「徹底的地元主義」と「選手がいないのではなくて、指導者がいないのだ」ということを立証していますね。

「野球選手を育てる前に人を育てよう」

佐々木監督自身、自分は指導者である前に教師であり一人の人間だということを常に忘れない人です。

スポーツが持つ本来の意義である、野球で培ったものを人生でも活かしてもらえるように教育の一環として選手に接してきました。

例えば、佐々木監督は「権利と義務」という言葉を使います。

これは「義務を果たさない者が権利を主張するな」という考え方を上から目線ではなくより理解しやすいように教育しています。

その結果が、試合で全力疾走する権利はグラウンドに立つ9人にしか与えられない、ということです。

ベンチに入れない試合に出れない選手は走りたくても走れませんよね。

だからこそ試合に出る選手はその人達の思いも込めて全力疾走という形でレギュラーとして選ばれた義務を果たすんだと。

そこから生まれた言葉が

「日本一を目指すなら日本一の全力疾走をしよう。日本一のカバーリングをしよう」

という名言です。

思うにこの一言を何十回何百回言っても選手の心に響かず納得もしなかったことでしょう。

それを佐々木流に何度も何度も咀嚼を繰り返し、選手一人一人の心に染み込ませたのでしょう。

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佐々木洋監督(花巻東高校)の息子の佐々木麟太郎選手は怪物選手!

2021年、今年の花巻東にはとてつもないスラッガーが入部してきたことをご存知ですか? 

それは、佐々木監督の長男、佐々木麟太郎(りんたろう)選手です。

大谷翔平選手の父親「徹」さんが監督のリトルシニアチームで基本を学び、自らの希望で父親が指揮を執る花巻東へと進学しました。

これぞまさしく親子鷹ですね。

入部して5月に行われた春季大会では挨拶代わりと言わんばかりの2本の本塁打で一躍有名になりました。

その資質の高さから、すでにある球団スカウトが張り付いているという噂まであるほどだったのです。

それもそのはず。

184センチ、113キロという豊かな体格で、高校通算140本塁打という高校生レベルを突出した強打者に成長しました。

第105回全国高校野球選手権記念大会に出場する選手で、注目されていることは間違いありません。

父でもある佐々木監督は多くは語りませんが、願わくば親子で甲子園、目指すは日本一であることは間違いないでしょう。

まとめ

今回は短期間で「東北の名門」、「甲子園常連校」への階段を駆け登った仕掛け人であり、若き名伯楽の佐々木洋監督についてご紹介していきました。

もともと「高校野球に革命を起こそう」という野心があったんじゃないかと思わせるほどスムーズに結果を残していきますよね。

2019年2月と2009年に渡米しアメリカのハイスクールベースボールに接し、日本のスポーツ界に根深く残るハラスメント等の問題を改めて考え直したそうです。

思うに佐々木洋という人物は根っからの教育者であり、身内を第三者目線で見てすぐさま対応策を行動に移せる21世紀型の高校野球監督ではないでしょうか。

その感性に引っかかったのが、菊池雄星選手であり大谷翔平選手だっただけなのかもしれません。

これから幾十年高校野球監督を続けられるか定かではありませんが、10年後の高校野球は確実に変化している予感がします。

佐々木流野球の完成形も見せてもらえるのか楽しみです。

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