林和成監督は石川県の星稜高校の4代目の野球部監督です。
(2022年3月をもって10年間の星稜高校野球部監督を退任されました。現在、星稜高校監督は2023年4月から山下智将監督(元山下智茂監督の長男)です。)
星稜高校と言えば、元ヤンキース松井秀喜選手の母校としても有名で、名将・山下智茂監督(現在・名誉監督)も有名ですよね。
そこで、星稜高校の林和成監督の経歴や出身大学、野球指導方法についてまとめました。
また、林和成監督のラストミーティングの歌が感動的です。
高校野球の強豪校、星稜高校野球部の林和成監督は、一体どのような人物なのか掘り下げていきましょう。
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星稜高校とは
星稜高校は、石川県金沢市小坂町南にある中高一貫の男女共学の私立。
創立は1962年。
1963年に現在の星稜高等学校に改称。
教育方針は、「誠実にして社会に役立つ人間の育成」。
スクールカラーは黄色。
生徒数は約1700人。
野球部以外にもサッカー部や剣道、陸上部など全国大会出場の実績多数。
主な星稜高校OBは、元ヤンキース松井秀喜選手。
サッカー元日本代表本田圭佑選手などプロ選手も多数輩出。
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星稜高校野球部のこれまでの実績
野球部の創部は1962年。
部員数63名
甲子園出場は春14回、夏21回。
(2022年8月時点)
林和成監督(星稜)のプロフィール
名前:林和成
生年月日:1975年7月23日
出身:石川県金沢市
年齢:47歳
高校:星稜高校
大学:日本大学
担当教科:社会科
職歴:日本大学卒業→星稜高校コーチ→部長→監督
1998年星稜高校野球部コーチ就任
2004年星稜高校野球部長就任
2011年星稜高校野球部監督就任
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林和成監督(星稜)の経歴
林和成監督は高校卒業後、日本大学に進学。
日本大学では準硬式野球部に所属。
大学卒業後は金沢の実家の住宅建築会社を継ぐか、あるいは家業を継ぐために東京で修業しようと考えていました。
その時、星稜高校野球部の山下智茂監督(当時)の意向で星稜のコーチにと声をかけられたことがきっかけで、母校に戻ってきました。
建築関係の就職を考えていた林和成監督には思ってもみなかったことに随分驚いたようですね。
それから林和成監督の日々はかなり忙しいものになりました。
そうですよね。建築関係を考えていたのに教育関係に変わるのですから。
昼は星稜高校の事務職員と野球部コーチをしながら、夜は教員免許を取るために金沢星稜大学(旧金沢経済大学)に通う毎日へ。
林和成監督は働きながら大学に通って免許を取ったのでした。
そうして、星稜野球部のコーチ、部長を経て、2011年36歳で星稜高校野球部監督に就任します。
ちなみに、現在の山下智将部長は、かつて名将と呼ばれた山下智茂監督(現名誉監督)の長男さんなんですよ。
山下智茂監督を師匠に持つ「林和成監督」と名将・山下智茂監督を父に持つ「山下智将部長」のコンビの星稜は気になりますね。
林和成監督(星稜)の過去の実績
林和成監督は、選手としては星稜高校時代に2年時からレギュラーでした。
高校球児には憧れの甲子園に3回(1991年春、1992年春、1992年夏)も出場しています。
高校3年間で甲子園を3回も経験するなんて、なかなかないですよね。
林和成氏が監督となってからは、春の甲子園は3回(2018年・2019年・2022年)、夏の甲子園は今年を含めて5回目(2013年・2014年・2016年・2018年・2019年)の出場です。
最高成績は、春の選抜ではベスト8が2回(2018年・2022年)、夏の選手権では準優勝(2019年)です。
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林和成監督(星稜)の松井秀喜との関係
星稜北信越制覇〜✨✨
甲子園優勝へ
悲願達成なるか──夢が膨らむ
黄金世代ですよね😊来年は林監督の
嬉し泣きソングを
期待していますよ🎶#星稜 #林和成 #松井秀喜 #奥川恭伸 #かりゆし58 #オワリはじまり pic.twitter.com/EdzU918MWC— 甲子園大好き芸人 (@Wz7t8lp) October 23, 2018
林和成監督と松井秀喜選手との関係は星稜高校野球部の先輩後輩の間柄です。
林和成監督が1年後輩。
しかも松井秀喜選手と主に三遊間を組んでいた仲間なのです。
1992年のあの夏、明徳義塾戦で松井秀喜選手への「5打席連続敬遠」の時に、ショートで出場していました。
林和成監督と松井秀喜選手の間柄は、これだけではありません。
なんと、林和成監督が母校のコーチにと声が掛かった時に悩んで相談した相手が松井秀喜選手でした。
そうですよね。母校だからと言っても野球の強豪校の名門ですもんね。
いくら甲子園に出場した経験があったとしても、重圧があったに違いありません。
そうして悩んだ末に林和成氏が当時相談した相手が松井秀喜選手でした。
東京ドームでの試合の後、わざわざ居酒屋にやってきて相談に乗ってくれたというのです。
「お前がどっちを選んでも応援する。もし星稜を選ぶなら、俺は全力で応援する」
「星稜の伝統は気にするな。自分の色を出せ」
と肩を叩いてくれたそうですね。
このように、林和成氏と松井秀喜選手は、強い絆で結ばれた、信頼関係の強い間柄にあるようですね。
林和成監督(星稜)の野球の指導方針!野球を通して大事なこととは?
野球の強豪校である星稜高校の林和成監督の野球指導方針を調べてみました。
一体どんなことを大切にして指導を行っているのでしょうか。
①人間力を育てる
林和成監督(星稜)は、選手が文武両道を目指しながら野球の練習に励む中、やはり人間力を育てることが大切だと言っています。
それは、野球を通して社会で活躍できる人間を養成することだからです。
②忍耐力を育てる
星稜高校では「耐えて勝つ」ことをモットーに選手たちは野球の練習に励んでいます。
野球を通して我慢したり、耐えることを経験する中で忍耐力を育てることは大切だと言っています。
それは、我慢したり、耐えることによって得られことがあるからだそうです。
例えば、野球で負けるくやしさに耐えることです。
負けるくやしさを味わうことで「負けて得られること」がわかるので、「耐えて勝つ」をモットーにしています。
そのことが良く分かる場面が実際にありました。
テレビでも放送されたラストミーティングです。
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林和成監督(星稜)のラストミーティングと歌が感動的!
甲子園では、優勝候補に挙げられていても、なかなか勝ち上がるのは難しいものです。
実際に、甲子園に出場した星稜高校も済美(愛媛)との2回戦では延長戦13回に及んだにもかかわらず、最後は逆転サヨナラ満塁ホームランをあびた苦い経験をしました。
その時の林和成監督の星稜高校野球部でのラストミーティングが話題になったのです。
「誰一人悪くない。負けたのは、監督のせいだ。
お前たちはよく頑張ってくれた。
このような終わり方もお前たちにとっては大きな経験になる。今後に活かして欲しい」
こう語っていたのは林和成監督です。
そうして、選手とのラストミーティングで「一曲歌っていいか?」と沖縄県出身のバンド「かりゆし58」の歌を選手に歌い始めました。
もうすぐ今日が終わる。やり残したことはないかい。
親友と語り合ったかい。燃えるような野球したかい。
一生忘れられないいような出来事に出会えたかい。
かけがえない時間を胸に刻み込んだかい・・・。
そして、星稜高校の卒業式には「かりゆし58」さんが実際にサプライズで登場したそうですね。
この「オワリはじまり」という歌をうたう林和成監督のミーティングと歌に感動した人は多かったと思います。
選手との監督との強い絆が結ばれているのが良く分かった瞬間でもありました。
こんな監督のもとで野球をしたい!と思った人も多かったのではないでしょうか。
選手思いの林和成監督に私も涙がぽろぽろ。
確かに、野球指導方針にあったように、悔しい思いをしたからこそ、それをバネにして這い上がってまた甲子園でさらに強くなった星稜高校を見せてほしいと思いました。
林和成監督(星稜)の評判は?
実際に野球OBの方などの声を集めてみました。
色んな騒動がありましたが、本来責任感が強く、野球への情熱が熱く、選手思いの実直な監督さんなんだと思います。
・非常に実直な性格の持ち主である。
・野球以外の大事なものについても熱心に指導する人である。
・チーム一丸となってきたのは監督のおかげである。
・在籍しているメンバーの中で監督の退任を望んでいる者なんて誰一人としていない。
・懺悔の道を歩んでいるのだから、再登板のチャンスを与えてあげて欲しい。
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林和成監督(星稜)まとめ
このように、林和成監督について見てきましたが、林和成監督は星稜高校野球部の監督として非常に熱心に指導する監督さんだったと思います。
きっと曲がったことが大嫌いで実直なまっすぐな性格の方なのではないでしょうか。
だからこそ、選手との絆が深い監督なんだと思います。
2011年に監督に就任し、10年間も母校の監督として活躍されてこられました。
その中でもプロ野球選手になった選手もいます。
星稜の監督としての重圧もあったかと思いますが、本当にお疲れ様でした。
退任後も学校には残って教壇に立たれるようですが、また何かの形で野球選手を育ててほしいですね。
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