若林弘泰(わかばやしひろやす)監督は元プロ野球選手ですが東海大学菅生高校の野球部監督です。
2017年には清宮幸太郎選手率いる早稲田実業を倒し甲子園出場しましたね。
そこで若林弘泰監督(東海大菅生高校)は元中日投手!経歴や妻や指導法は?という内容でご紹介します。
若林弘泰監督はいったいどのような人物なのでしょうか。
東海大菅生(とうかいだいすがお)高校とは
東京都あきる野市にある男女共学の私立の中高一貫学校です。
通称は東海大菅生(とうかいだいすがお)。
東海大学の傘下の高校であり、設立は1983年。
特別進学コースと総合進学コースがあります。
偏差値は47~56。
野球部の他にもサッカー部、ラグビー部、吹奏楽部も全国大会出場するなど部活動が盛んな学校です。
東海大学菅生高校野球部は過去に春3回、夏3回甲子園に出場している強豪校です。
西東京大会には決勝進出は7回もあります。
野球部の部員数:103人
東海大学菅生高校監督:若林弘泰
住所:あきる野市菅生1817
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主な野球部OB
中野渡進(元プロ野球選手)
笹川隆(元プロ野球選手)
金森敬之(プロ野球選手・ロッテ)
鈴木昂平(プロ野球選手・オリックス)
南要輔(プロ野球選手・楽天)
東海大菅生高校の評判や特徴
東海大学菅生高校は今回4年ぶり4回目の甲子園出場。
西東京大会では強豪校の國學院久我山を破り話題となりました。
東海大菅生の特徴は、投手陣ではエースの本田峻也選手の145キロ前後のキレのある直球や変化球を操るところです。
注目選手は千田光一郎選手。
打撃面では、東京都大会で國學院久我山戦で4回の3-3での場面で、勝ち越し3ランを放つほど。
また、投手としての顔も持ち、9回にリリーフとして登板し優勝投手に。
他にも、小池祐吏選手、福原聖矢選手、桜井海理選手も見逃せない選手です。
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東海大菅生高校の甲子園の成績
2017年夏
2回戦 11-1 高岡商業(富山)
3回戦 9-1 青森山田(青森)
準々決勝 9-1 三本松(香川)
準決勝 6-9 花咲徳栄(埼玉)
2回戦からの試合では富山県の高岡商業を11-1で破り3回戦進出。
3回戦は青森山田高校と激突するも9-1で準々決勝に進出。
準々決勝では公立の三本松高校を9-1で破り、ベスト4進出。
準決勝では、強豪校花咲徳栄に敗れる。
2021年春
1回戦 4-3 聖カタリナ学園(愛媛)
2回戦 5-4 京都国際高(京都)
3回戦 0-6 中京大中京高(愛知)
若林弘泰監督のプロフィール
名 前:若林弘泰
よ み:わかばやしひろやす
生年月日:1966年4月22日
年 齢:51歳
出 身:神奈川県
職 業:元プロ野球選手(中日投手)
高校教師(社会科)
東海大学菅生高校野球部監督
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若林弘泰監督の経歴
若林弘泰監督は、小学3年生から野球を始めました。
当時、東海大相模高で活躍していた原辰徳選手に憧れて東海大相模高校に進学します。
大学は東海大学に進学。
大学2年生の時には首都春季リーグで防御率0.00で最優秀投手を獲得するも、その後ひじの手術で活躍はありませんでした。
首都大学リーグでの成績は通算30試合登板。
14勝4敗、防御率1.78
大学卒業後、日立製作所を経て1991年ドラフト4位で中日に入団。
中日のプロ野球選手になりました。
プロ入り後の3年間は、学生時代のひじの手術の影響であまり体調はすぐれませんでした。
1995年は1軍の中継ぎ投手として17試合に登板しています。
1勝1敗。防御率は8.85。
そのひざの故障が治った時には年齢も30歳だったため、1997年に引退しています。
プロ引退後は、佐川急便で5年間勤務していましたが、アマチュアの野球指導者になりたかった夢をあきらめきれずに一念発起します。
なんと37歳で名城大学に入学し、社会科の教員免許を取得しました。
そうして2007年に東海大学菅生高校に社会科の高校教師として着任。
2009年には念願だった野球部監督に就任しました。
若林弘泰監督は、現在クラス担任も務め、普段は学校生活や高校教師もしながら野球部監督もされています。
忙しい毎日でくたくたでしょうね。
プロ野球選手として活躍した経験もある若林弘泰監督ですが、夢をあきらめずに37歳で大学生として再出発されました。
夢はあきらめたら終わりですが、いくつになっても目指せばつかむ事ができることを証明してくれている監督だと思います。
若林弘泰監督なら知識や経験が豊富なので選手にとっても心強い監督でしょうね。
若林弘泰監督の家族
若林弘泰監督には妻の祐美子さんがいます。
プロ野球では戦力外通告を経験した若林弘泰監督を陰で支え、37歳で教師の道に進むと決めたときも支えてくれた奥様です。
若林弘泰監督は「自分が好き勝手にやってきているからあなたについていくのは私しかいないわよ」と平気でよく言われるけど感謝していますとインタビューで語っていました。
そんな若林弘泰監督が初めて甲子園の切符を手にしたときは奥様の若林由美子さんからお手紙をいただいたそうです。
その手紙の内容です。
「(まだ教師になる前に家族で甲子園を観戦した時)パパはここから見ていてはいけない!ユニホーム姿でグランドに立っていなくては!」と強く感じました。
今のパパはとても楽しそうです。
野球部監督して就任して以来は、若林弘泰監督は家族と離れ選手と一緒に寮で生活しているそうです。
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若林弘泰監督の野球部の指導法
若林弘泰監督はプロ野球選手から監督になったあまり例のない監督です。
若林弘泰監督の指導の特徴は、野球の試合や練習の中になります。
それは次世代につなげる野球をしていることです。
例えば、1年生を夏の登録メンバーに入れたり、2年生に先発投手を任せたり。
そのような野球をする強豪校の若林弘泰監督ですが、悩んだ時期もありました。
プロ野球の世界を経験しているため、プロの指導スタイルと参考にしていましたが、プロでは通用するがアマチュアには通用しないところがありました。
それは、監督と選手との距離でした。
プロ野球では、コーチに選手のことを任せる監督が多いのです。そのため選手は監督よりもコーチの方が身近にあります。プロのコーチはかなり責任が大きいようですね。
しかし、高校野球ではそれが通用しませんでした。コーチに任せすぎて監督と選手との距離が離れすぎてコミュニケーションが十分に取れていなかったのです。
それが原因で当初は試合も惨敗。
そのため、指導法を変えました。
選手とのコミュニケーションを図るために自分から選手との距離を縮めるようにしました。
そうすることで、次第にチームは一つになっていったそうです。
試合の結果も快進撃を続け、以前の試合で5回コールドで負けた日大三にも4点差もつけて逆転勝利するようになりました。
監督と選手との距離が近くなったことで、信頼関係が生まれ、良い雰囲気で試合に臨めるようになったのです。
まとめ
このように、甲子園に出場するほどの強豪校は何かしらマイナス問題を修正してプラスに持ってきている学校が多いですね。
そして共通点は監督の努力、選手との信頼関係や絆が深いところです。
東海大菅生も甲子園目指して練習してきたと思います。
試合では練習の成果を存分に発揮して頑張ってほしいです。