高橋源一郎(たかはしげんいちろう)監督は中京大中京高校の野球部監督です。
中京大中京高校といえば、甲子園春夏通じて11回全国制覇で「日本一」、全国最多の甲子園通算133勝を誇る「名門」ですよね。
「高校野球」は、高校野球の魅力に取り憑かれたディープなファンから、プロ野球と違って常に全力だから清々しいと語るにわかファンまで形成される夏の風物詩のひとつです。
高校野球には「甲子園の常連校」だとか「古豪」と呼ばれるチームが存在しますが、その裏にはチームを甲子園に導いた指導者の影響は多大なものがあります。
名前を挙げればキリがないほどの「名将」がいますが、今回は名門から転落、そして今また名門として復活を遂げた名将・「中京大中京高校」の高橋源一郎監督に焦点を当ててみたいと思います。
高橋源一郎監督(中京大中京高校)のプロフィール
名前 | 高橋源一郎(たかはしげんいちろう) |
---|---|
生年月日 | 1979年10月2日 |
年齢 | 41歳(2021年6月現在) |
出身 | 愛知県春日井市 |
出身高校 | 中京大中京高校 |
出身大学 | 中京大学 |
甲子園歴 | 【現役時代】1997年春選抜出場で準優勝(主将で遊撃手) |
高橋源一郎監督は1979年10月2日生まれの41歳です。(2021年6月現在)
愛知県春日井市の出身で、現在野球部を指揮している中京大中京高校から中京大学へと進学。
中京大中京高校野球部については後ほどご紹介するとして、注目すべきは同校を巣立ったOB、OG達です。
なんと、中京大中京高校野球部からは現在の侍ジャパンの監督「稲葉篤紀」さん、現ヤクルトスワローズの「嶋基宏」選手をはじめとして80名超のプレイヤーを輩出しています。
また愛知県といえばフィギュアスケートの聖地とも言えることから、「浅田真央」さんをはじめとして「安藤美姫」」さんや「宇野昌磨」さんなども同校の門をくぐった生徒の一人でした。
やはり名門として名を馳せる学校からは競技の枠を越えて実力者が育っていくんですね!
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高橋源一郎監督(中京大中京高校)の経歴
高橋監督の現役時代は遊撃手や主将として活躍し、1997年には春の選抜で甲子園に出場し準優勝を果たしています。
卒業後は中京大学へ進学しましたが、選手としてはここで引退しているんですね。
何か感じるところがあったのでしょう、その後は大学へ残りコーチとして指導者修行への道を選択しています。
後に三重高校でコーチの経験を積み、2009年に現在の中京大中京に凱旋しコーチとしてチームを補佐してきました。
そして遂に2010年8月に、前任の大藤監督からバトンを引き継ぎ監督の座に就くこととなりました。
思えば高橋監督が生まれたのは昭和50年代です、これからは50年から60年代の若々しい監督がチームの指揮を執る時代になってきたという顕著な事例ではないでしょうか。
これにより今までとはまた一味違う戦い方が高校野球の主流となってくる予感がしますね。
高橋源一郎監督(中京大中京高校)の監督としての実績や成績
2015年 | 夏甲子園出場(初) 3回戦敗退 |
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2017年 | 夏甲子園出場 1回戦敗退 |
2019年 | 明治神宮野球大会 優勝 |
2020年 | 甲子園高校野球交流試合 出場 |
2021年 | 春甲子園出場 ベスト4進出 |
選手としてより指導者としての道を選択した高橋監督ですが、肝心の成績はどうだったのでしょうか。
個人的な意見ですが、かつて甲子園のグラウンドでプレーをした高橋監督は自分が預かった選手にも「自分と同じ思いをして欲しい、甲子園の土の上で伸び伸びと野球を楽しんで欲しい」という想いがあったのではないでしょうか。
高橋監督は就任5年目(2015)、監督として夏の甲子園に初出場し3回戦まで駒を進めています。
その2年後(2017)に再度出場していますが残念ながら1回戦敗退と涙を飲んでしまいました。
がしかし、ここで終わる高橋監督ではありません。
なんと、2019年には「明治神宮野球大会」で初の全国制覇を成し遂げ、勢いに乗り翌年には新型コロナウィルスの影響によりイレギュラー開催された「甲子園高校野球交流試合」への出場を果たしました。
さらに翌年2021年には春の「選抜高等学校野球大会」へ出場し、ベスト4の成績を収めています。
しかし「愛工大名電」や「東邦」「至学館」など古豪・名門がひしめく愛知県、その中でも中京大中京の甲子園での成績は春4回、夏7回の計11回も全国制覇を果たし群を抜いているんですよね。
その実績から見ても「甲子園常連校」=「最低でもベスト4」が最低ノルマ、確かに厳しい。
加えて戦前から活動しているという歴史あるチームのため、先輩OBや県内の高校野球ファンから辛辣な言葉が情け容赦なく浴びせられる日々が続いたようです。
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高橋源一郎監督(中京大中京高校)の野球の指導方法
そんな環境下に置かれた高橋監督は指導者として何を考え、どんな指導を心がけるようにしたのでしょうか。
まずはじめに、今まで「正」とされていた「精神論」から脱却し、選手個々の適正を見い出しそれに適した指導を行っていきました。
特に、監督としての立場ではなく、一人の先輩として後輩のメンタルケア等も行うことで徹底的にその選手の良さを引き出すことへと方針転換し、指導にあたっています。
なぜなら、かつての高校野球に限らずスポーツ全般の指導方法は主に「精神論」が主流で、「根性」「気合」が強さを確立する「正」と思い込まれていたからです。
ミーティングでは指導者が延々と選手に対して「根性」「気合」について説き、グラウンドでは降り注ぐ日差しの中で嵐のようなノックや手の感覚がなくなるほどの素振り。
体力の限界が尽きるまでのランニングをこなすことで「強さ」が確立されると信じられていました。
高橋監督も選手時代はそれこそが「正」であると思い込んでいたのかもしれませんね。
では今の指導方法はどんなものがあるかというと・・・、
例えば、かつてのように練習についてこれない選手を声高に非難することはしません。
また監督自らも過去の実績や経験にあぐらをかく事なく適切なタイミングでサポートやアドバイスを行うことを実践しています。
そうしていくことで、チームに新しい風を吹き込み「新鮮な気持ち」で野球に取り組める空間を作り上げました。
これが高橋野球の指導方法であり、流儀となって今も続けられています!
一言でいうなら「時代は変わった」ということかもしれません、昭和の時代は頭髪は五厘刈りで練習中の水分補給など「悪」の象徴とされていましたが。
高橋監督はそれにいち早く気づき実行に移したことが功を奏しているのではないでしょうか。
高橋源一郎監督(中京大中京高校)の強さの秘密
さて古豪復活とも言える「新生・中京大中京」のチームの強さにはどんな秘密が隠されているんでしょうね。
答えは至って簡単!
高橋流野球の強さの秘密には限られた時間や環境の中で「より効率的に」「テンポよく」という考え方が根底にありました。
何故こんな考えが生まれたんでしょうか。
実は中京大中京高校には硬式野球部専用のグラウンドは存在しません、右翼側80m、左翼側97mに加えて軟式野球部も同時に利用するというごく一般的なグラウンドで練習を行っているからです。
そもそも同校は名古屋市内の住宅街の中にあるため広い敷地を有していません。もちろん、室内練習場なども存在しません。
そんな環境下ですから寮もありません。
なので選手は自宅から通学しています。
傍から見れば強豪校の雰囲気など微塵も感じさせない、他の高校生と同じ生活を送り部活に汗を流す「生徒」にしか見えません。
では、限られた時間や環境の中で「より効率的に」「テンポよく」という高橋流野球の考え方で一体どんな練習をしているんでしょうね。
まずは守備練習から見ていきましょう。
守備練習の「順繰りノック」
守備練習では、グラウンドの使えるスペースを有効に利用できるようシートノックを限りなく行わず、昔からある「順繰りノック」を行います。
これによりノックを受けない選手の待ち時間は削減され、テンポよくノッカーが打ち出すことで選手は数多くのノックを受けられるんです。
ここに高橋監督が掲げる「効率」「テンポ」が顕著に表れているように思います。
打撃練習の「ティーバッティング」
次に打撃練習に目を移してみましょう。
高橋監督は就任以来、ティーバッティングを非常に大切にしています。
ティーバッティングの持つ意義は多様で、ティースタンドにボールを置きただひたすらにバットを振ることが目的ではありません。
バッティングピッチャーが投げ、ヒッティングポイントを想定して、高低からコースまで自由に設定することが出来ます。
これにより、自ずと「考える力」「イメージする力」を養うことができます。
一般的に横からトスされるボールを打つことの方が多いようですが、高橋監督はあくまで「前からくる球をどのポイントで捕らえるか」という明確な問題提起を選手に与えているわけですね。
そしてまたここにもありました、「効率」の良さが。従来のトス型ですと二人一組になりますが、ティースタンドを使うことで一人で練習が出来ます。
目の前にネットさえあれば「いつでも」「どこでも」練習が出来ますから抜群の効率を図れますよね。
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高橋源一郎監督(中京大中京高校)のチーム立て直し
高橋監督の監督としての船出は順風満帆なものではありませんでした、それはひとえに名門校が故の宿命と言っても過言ではないでしょう。
なぜなら就任からの4年間は実績を上げることが出来なかったからです。
ここで一旦「挫折」という大きな壁にブチ当たるわけですが、名門から転落、そして今また名門として復活を遂げた名将・高橋監督はここをどうやって克服しチームを立て直すことができたのでしょうか。
答えは至極当然でありながら加えて難しいものでもありました。
高橋監督は、「選手が練習に打ち込めるような環境を作ることが自分のやるべきこと」としてチームの立て直しを図ったのです。
そのためにはOBに雨天時に練習が出来る施設を貸してもらえるよう頭を下げ、時には学生コーチに指導をお願いするといった地道な活動を行ってきました。
まさに「黒子」に徹したわけですね!
実際に、
「あるレベルまではセオリーに従えば伸びますが、伸びしろを埋めるには選手個々のレベルにあった練習が必要となります。成長に正解はありませんから。」
と高橋監督は語ります。
この言葉を聞いてあるプロ野球の二軍監督が選手にかけた言葉を思い出しました・・・。
「短所は短所ではなく、伸びしろ」
私はこの言葉、野球に限らずどんなことにも言える「金言」として大切にしています。
(少し話が横道にそれてしまいましたので元に戻りましょう)
では高橋監督がチーム立て直しにどんな方法を取り入れたのか・・・具体的に気になりますよね。
それは例えば、
・時には社会人チームの練習に参加させた。
・オフのトレーニングはトレーナーに任せた。
・トレーナーから受けた指導に対し選手が自分自身で考えて、より一層レベルアップ出来るように導いた。
など、高橋監督が選手への指導をベッタリ行わず一歩引いたスタンスを取り入れたのです。
そうすることで、チームや個々の持つ課題が見えてきて適切なアドバイスを行うといった手法が、チームを立て直すことに繋がったわけですね!!